気に入りの門弟をしたがえて、出かけてきたわけ。
 さきにおめでたが待っているから、陽気な旅だ。その旅も、今夜でおしまいだというので、腕の立つわかい連中の大一座、ガヤガヤワイワイと、伊賀の山猿の吐く酒気で、室内は、むっと蒸《む》れている。
 供頭役《ともがしらやく》安積玄心斎の大声も、一度や二度ではとおらない。
 牡丹餅大《ぼたもちだい》の紋《もん》をつけたのが、
「こらっ、婢《おんな》っ! 北廓《ほっかく》はいずれであるか、これからまいるぞ。案内をいたせっ。ははははは、愉快愉快」
 とろんとした眼で見据えられて、酌《しゃく》に出ている女中は、逃げだしたい気もち。
 面ずれ、大たぶさ、猪首《いくび》に胸毛――細引きのような白い羽織の紐が、詩を吟ずる。
 玄心斎は、とうとう呶声《どせい》をあげて、
「しずかにせいっ! わしがこうして、お部屋のそとから声をかけておるのに、貴様たちはなんだ。酒を飲むなら、崩れずに飲めっ!――若! や! 源三郎さまは、こちらにおいでではないのか」
 師範代の玄心斎なので、一同は、ピタリッと鳴りをしずめて、キョロキョロあたりを見まわし、
「オヤ! 若先生は、今までそこにおいでなされたが……はてな、どこへゆかれた」

       三

 さっき、到着のあいさつに、おもだった門弟のひとりを、妻恋坂の司馬道場へ駈けぬけさせてやったのだが。
 いまその者が、馳《は》せ戻ってのはなしによると……。
 会わぬ、という。
 しかるべき重役が出て、鄭重《ていちょう》な応対のあるべきところを、てんで取次ぎもせぬという。
 けんもほろろに、追いかえされた――という復命。意外とも、言語道断とも、いいようがない。
 約束が違う。聞いた玄心斎は、一|徹《てつ》ものだけに、火のように怒って、こうしてしきりに、主君源三郎のすがたを求めているのだが、肝腎《かんじん》の伊賀のあばれン坊、どこにもいない。
 広いといっても知れた本陣の奥、弟子たちも、手分けしてさがした。
 と……玄心斎が、蔵の扉《と》まえにつづくあんどん部屋の前を通りかかると、室内《なか》から、男とおんなの低い話し声がする。
 水のような、なんの情熱もない若い男の声――源三郎だ!
 玄心斎の顔に、苦笑がのぼった。
「また、かようなところへ、小女郎《こめろう》をつれこまれて――困ったものだ」
 とあたまの中で呟き
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