《ぼう》」で日本中にひびきわたった青年剣客が、供《とも》揃いいかめしく東海道を押してきて、あした江戸入りしようと、今夜この品川に泊まっているのだから、警戒の宿場役人ども、事なかれ主義でびくびくしているのも、むりはない。
「さわるまいぞえ手をだしゃ痛い、伊賀の暴れン坊と栗のいが」
唄にもきこえた柳生の御次男だ。さてこそ、何ごともなく夜が明けますようにと、品川ぜんたいがヒッソリしているわけ。たいへんなお客さまをおあずかりしたものだ。
その本陣の奥、燭台のひかりまばゆい一間の敷居に、いま、ぴたり手をついているのは、道中宰領《どうちゅうさいりょう》の柳生流師範代、安積玄心斎《あさかげんしんさい》、
「若! 若! 一大事|出来《しゅったい》――」
と、白髪《しらが》あたまを振って、しきりに室内《なか》へ言っている。
二
だが、なかなか声がとどかない。
宿《しゅく》は、このこわいお客さまにおそれをなして、息をころしているが、本陣の鶴岡《つるおか》、ことに、この奥の部屋部屋は、いやもう、割れっかえるような乱痴気《らんちき》さわぎなので。
なにしろ、名うての伊賀の国柳生道場の武骨ものが、同勢百五十三人、気のおけない若先生をとりまいて、泊まりかさねてここまで練ってきて、明朝《あす》は、江戸へはいろうというのだから、今夜は安着の前祝い……若殿源三郎から酒肴《しゅこう》がおりて、どうせ夜あかしとばかり、一同、呑めや唄えと無礼講の最中だ。
ことに、源三郎こんどの東《あずま》くだりは、ただの旅ではない。はやりものの武者修行とも、もとより違う。
源三郎にとって、これは、一世一代の婿《むこ》入り道中なのであった。
江戸は妻恋坂《つまこいざか》に、あの辺いったいの広大な地を領して、その豪富《ごうふ》諸侯《しょこう》をしのぎ、また、剣をとっては当節府内にならぶものない十方不知火流《じっぽうしらぬいりゅう》の開祖、司馬《しば》老先生の道場が、この「伊賀のあばれん坊」の婿いりさきなのだ。
司馬先生には、萩乃《はぎの》という息女があって、それがかれを待っているはず――故郷《くに》の兄、柳生対馬守と、妻恋坂の老先生とのあいだには、剣がとり持つ縁で、ぜひ源三郎さまを萩乃に……という固い約束があるのである。
で、近く婚礼を――となって、伊賀の暴れん坊は、気が早い。さっそく
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