拙者の名をいえ!」
「はい。それはもう、よく承知いたしております。ヘヘヘヘ、若殿様で――」
「だまれッ! 侍の懐中物に因縁《いんねん》をつけるとは、貴様、よほど命のいらぬ奴とみえるな」
「と、とんでもない! 手前はただ……」
「よし! しからば両口屋へ参ろう、同道いたせ」
 と! 踏み出した栄三郎のうしろから、こと面倒とみてか、男が美《い》いだけの腰抜け侍とてんから呑んでいるつづみ[#「つづみ」に傍点]の与吉、するりとぬいだ甲斐絹《かいき》うらの半纒《はんてん》を投網《とあみ》のようにかぶらせて、物をもいわずに組みついたのだった。

 来たな!
 と思うと、栄三郎は、このごまの蠅《はえ》みたいな男の無鉄砲におどろくとともに、ぐっと小癪《こしゃく》にさわった。同時に、おどろきと怒りを通りこした一種のおかしみが、頭から与吉の半纒をかぶった栄三郎の胸にまるで自分が茶番《ちゃばん》でもしているようにこみ[#「こみ」に傍点]上げてきた。
 ぷッ! こいつ、おもしろいやつ! というこころ。
 で、瞬間、なんの抵抗《あらそい》も示さずに、充分抱きつかせておいて、……調子に乗りきったつづみ[#「つづみ
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