馬鹿にしてやがら」
と、ジロジロとそこらを見まわしてすわろうともしない。案内して来た女中も心得たもので、
「もっと宿料を奮発《ふんぱつ》なされば、あっちにいくらもいいお座敷があいておりますよ」
これには与吉、ギャフンと参って、
「そりゃそうだろう。そうなくちゃアかなわねえところだ――人間万事金の世の中ってナ、アハハハ」
どうも与の公ときたらうるさい野郎で、四六時中しゃべっていなければ気のすまないところへ、今は、泰軒という苦しい厄介がなくなったのだから、ひとしお上機嫌に口が多い。
飯か湯かどっちを先にするときかれて、湯へはいりながら飯を食いてえ……などと勝手なことをしゃべり散らすので、女もあきれて降りていってしまう。
あとで与吉が、宿の丹前に着かえて、力を入れてもたれかかるとひとたまりもなく折れそうな、名ばかりの二階縁の欄干にもたれて下の往来をのぞくと。
うら淋しいながらに、ちょうど上《のぼ》り下《くだ》りの旅の人があわてて宿をとる刻限《こくげん》とて、客引きの声もかしましく、この奥州街道に沿う町にもさすがに夕ぐれはあわただしい。
よごれた白壁。檐《のき》の低い瓦屋根のつづき。取りこむのを忘れた、色のさめた町家の暖簾《のれん》、灯のにじむ油障子。馬糞に石ころ……何をひさぐ店か、和田屋《わだや》と筆太に塗ったここらでの老舗《しにせ》らしい間口の広い家――そういったものが、迫りくる暮色のなかに雑然|蕪然《ぶぜん》と押し並んで、立枯れの雑木ばやしを見るような、まことに骨さむい景色……。
投入れのひからびている間《あい》の宿。
与吉が、柄にもなくこんな句を思い出していささか悵然《ちょうぜん》としながら、あの乞食先生はどうしたろう? さぞ今ごろは泡をくらってこの与吉を探しているに違えねえ、ざまア見ろ! と心中に快哉《かいさい》を叫んだ時、廊下に面した障子が開いて人がはいって来た。
「恐れ入りますが、お一方《ひとかた》お相宿を願います」という番頭の挨拶にギョッ! とした与吉が振り向いてみると、越後の毒消し売りがひとり荷を抱えて割り込んで来ている。
これで与吉はすこし気を悪くしたが、それでも、婢《おんな》が晩めしを運んで来て給仕をする。
「姐《ねえ》さん、この辺に飯盛はいねえのかえ」
「御飯ならわたしが盛《も》ってあげますよ」
「ちょッ! この飯じゃアねえや。こうッと、草餅よ。はははは、くさもちは、どうでエ?」
「くさもちはありませんが、かき餅が名物でござんす」
「笑《わら》わかしゃがらア! 草もちのかわりにかき餅とくりゃあ世話アねえ。にっぽん語の通じねえところだから情けねえ――それなら姐《ねえ》や、なんだぜ、今夜忍んで行くぜオイ。え? いいだろう?」
「あれ! 知りませんよ」
「なに、知らねえことがあるものか。お前みてえなべっぴんは江戸にも珍しい」
「ホホホ、それほどでもござんすまい――そんな殺し文句をまいて歩くと、あの女《ひと》がただはおきませんよ」
「何を言やんでえ!」
などと与吉一流の無駄口をたたきながら飯をすまして、一風呂ザアッと流してくるからと按摩を頼み、手拭をぶらさげて突っかけ草履、与吉が廊下へ出たところへ、どこの部屋からかあまり粋とはいえない三味線の音……。
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しぐれ降る浅茅《あさじ》ヶ|原《はら》の夕ぐれに二こえ三声|雁《かり》がねの、便り待つ身の憂きつらさ――。
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と来たときに、お節介《せっかい》な与の公、耳をおさえて、
「よしゃアがれッ!」
と、どなりながら、暗い裏梯子を駈けおりると、とっつきが風呂場になっていて、ガヤガヤと人声がこもっている。
男女混浴……国貞《くにさだ》画《えが》くとまではいかないが、それでも裸形《らぎょう》の菩薩《ぼさつ》が思い思いの姿態をくねらせているのが、もうもうたる湯気をとおして見えるから、与吉はもう大よろこび。
「あらよウッ! みなさん、ごめんねえ!」
と、精々いなせに飛びこんでゆくと! 聞き覚えのある謡曲の声とともに、よもぎのような惣髪《そうはつ》のあたまが一つ、せまい湯船の隅にうだっている。
はッ! と思うと与の公、ちょいと身体を濡らしただけで、そのまま女たちのあいだをこっそり抜け出て来ようとしたが、すでに遅かった。
「はっはッはっは、待っておったぞ!」
と割れっ返るような大声といっしょに、泰軒先生がヌッと湯の中に立ちあがったから、与吉は妙な恰好に流し場にしゃがんで、
「おや! 先生でございますか。どうなさいましたかと、じつは御心配申しあげておりましたよ。でもまあ、よく御無事で、エヘヘヘ……」
「ひさしく会わんような挨拶だナ」
「いえね、全く。さっきこの柳屋の前の往来でひょいと気がつくてえと、先生のお姿がかき
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