したようにうなりながら、寒天にちりばめた星くずをなでているだけだった。
もの淋しい夕景色。
と! この時。
物《もの》の怪《け》にでも憑《つ》かれたように、フラフラとこの庭隅に立ち現われた一つの黒法師《くろぼうし》がある。
しばらく物置の戸に耳をつけて表のかた、周囲に耳を傾けていたが、やがて、いま、屋敷は御用の騒動にのまれて誰も近づいてくる者もないと見るや、しずかに小屋のなかへはいって――すぐに出て来た。
言うまでもなく、源十郎と対談しているところへ、左膳と捕吏の剣闘《けんとう》が始まったので、こっそり部屋を脱けて出たおさよ婆さんであった。
手に、物置から取りだした鍬《くわ》を握っている。
夕方鍬などを持ち出して、こんなところで何をするのか……と見ていると!
おさよは瞬時《しゅんじ》もためらわずに、やにわに鍬を振りあげて、小屋のかげ、椎の根元を掘りはじめたが――。
ふしぎ! 近ごろ誰かが鍬を入れたあとらしく、表面が固まりかけているだけで、一打ち、二打ちとうちこむにしたがい、やわらかい土がわけもなく金物の先に盛られて、おさよの足もとに掬《すく》い出される。
薄やみに鍬の刃が白く光って、土に食い入るにぶい音が四辺の寂寞《せきばく》を破るたびに、穴はだんだんと大きくなっていって。
はッ! はッ! と肩で呼吸《いき》づく老婆おさよ、人眼を偸《ぬす》んでこの小屋のかげに何を掘り出そうとしているのだろう……?
それは――。
過般《かはん》、ある夜。
老人のつねとして寝そびれたおさよが、ふと不浄《ふじょう》に起きて、見るともなしに、小窓から戸外《そと》の闇黒をのぞくと、はなれに眠っているはずの丹下左膳、今ちょうどそこを掘りさげて、襤褸《ぼろ》と油紙に幾重にも包んだ細長い物を埋めようとしているところだった。
深夜にまぎれて、食客左膳の怪しいふるまい……これは、乾雲丸を一時こうして隠匿《いんとく》して、かの五人組の火事装束に奪い去られたと称し、栄三郎をはじめ屋敷内の者をさえ偽ろうという極密《ごくみつ》の計であったが、始終《しじゅう》を見とどけたおさよは、さっきのことを源十郎に話したとおり、今の混雑を利用して刀を掘り出し、お艶に別れる手切れの一部として、さっそく栄三郎へ渡そうと思っているのだ。
老女おさよの手によって、うちおろされる鍬の数!……。
土が飛ぶ。石ころがはねる。そしてついに、地中の竜ではない、土中の乾雲がおさよの目前にあらわれたとき! 櫛まきお藤の撃った左膳を助ける銃声がひびいた。
離別以来|幾旬日《いくじゅんじつ》、坤竜を慕って孤愁《こしゅう》に哭《な》き、人血に飽いてきた夜泣きの刀の片割れ――人をして悲劇に趨《はし》らせ、邪望をそそってやまない乾雲丸が、ここにはじめて丹下左膳の手を離れたのだ。
……転ぶようにしゃがんで穴底から重い刀を抱きあげたおさよ。
暗中にぱっぱッ[#「ぱっぱッ」に傍点]と音がしたのは包みの土を払ったのだ。
宵闇《よいやみ》にふくまれ去ったお藤と左膳を追って、捕方の者もあわただしく庭を出て行ったあとで。
源十郎は長いこと、ひとりぽかんとして縁に立っていた。
今にも同心でも引き返して来て自分に対しても審《しら》べがあるだろう。ことによると、奉行所へ出頭方を命ぜられるかも知れないが、それには一応、小普請支配がしら青山|備前守《びぜんのかみ》様のほうへ話をつけて、手続きをふまねばならぬから、まず今夜は大丈夫。そのあいだに、ゆっくり弁口《べんこう》を練っておけば、ここを言い抜けるぐらいのことはなんでもあるまい――と源十郎、たか[#「たか」に傍点]をくくって、いまの役人の帰ってくるのを待ってみたが、追っ手は早くも法恩寺橋を渡って、横川の河岸に散っていったらしく、つめたい気をはらむ風が鬢《びん》をなでて、つい、いまし方まで剣渦戟潮《けんかげきちょう》にゆだねられていた、庭面《にわも》には、かつぎさられた御用の負傷者の血であろう、赤黒いものが、点々と草の根を染めていた。
とっぷりと暮れた夜のいろ。
源十郎はいつまでも動かなかった。
丹下左膳は、あくまでも自分がかれを売って訴人をしたようにとっているが、役人どもがいかにして左膳の居所を突きとめたかは、源十郎にとっても、左膳と同じく、全くひとつの謎であった。
「きゃつ、おれをうらんでおったようだが、馬鹿なやつだて」
ひとりごとが源十郎の口を洩れる。同時にかれは、寒さ以外のものを襟頸《えりくび》に感じて慄然《ぞっ》とした――物凄いとも言いようのない左膳の剣筋を、そして、狂蛇のようなその一眼を、源十郎は歴然《れきぜん》と思いうかべたのだ。が、彼は、たそがれの空を仰いでニッと笑った。
「左膳、何ほどのことやある! 第一、なんて言わ
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