そいでゆく。
みょうな顔で挨拶を返した鈴川源十郎、眼は、遠ざかる栄三郎の腰に吸われていた。
はなしに聞いた陣太刀づくりの脇差に、九刻《ここのつ》さがりの陽ざしが躍っている。
孤独を訴える坤竜丸の気魂《きこん》であろうか。栄三郎のうしろ姿には一|抹《まつ》のさびしさが蚊ばしらのように立ち迷って見えた。
「よし! 五十両がふい[#「ふい」に傍点]になった以上は、あくまでもあの男をつけ狙って、丹下のやつをたきつけ、おもしろい芝居を見てやろう。乾雲と、坤竜、刀が刀を呼ぶと言ったな。それにしてもあの若造は、たしかに鳥越の――」
源十郎が小首をひねったとき、先をゆく栄三郎がまた振り返って頭をさげた。
ふふふ、馬鹿め! とほくそ[#「ほくそ」に傍点]笑《え》んだ源十郎、ていねいにじぎをしていると、ぽんと肩をたたく者があって、
「ほほほ、いやですよ殿様。狐|憑《つ》きじゃああるまいし、なんですねえ、ひとりでおじぎ[#「おじぎ」に傍点]なんかして……」
という櫛まきお藤の声。気がつくと、いつのまにか与吉もそばに立っているのだった。
すんでのことで栄三郎に追いつかれて、武蔵太郎を浴びそうになった与吉は、ほど近いお藤の家へ駈けこんで危ういところを助かった。で、もうよかろうと姐御を引っぱり出して来てみると、かんじんの金は、名のない男というみょうな茶々《ちゃちゃ》がはいって元も子もないという――。
お藤は黒襟をつき上げて、身をくの字に腹をよった。が、そのきゃんな笑いもすぐに消えて真顔に返った。
丹下左膳のために手をかしてもらいたいという源十郎のことば。
何かは知らぬ。しかし、左膳と聞いて、恋する身は弱い。お藤はもう水火をも辞せない眼いろをしている。
しかも、いつない源十郎の意気ごみが二人の胸へもひびいて、与吉は中継《なかつ》ぎとしてここにのこり、お藤と源十郎が栄三郎のあとを追うことになった。
屋敷をつきとめしだい、どっちかがひっかえして与吉にしらせる。与吉はそれをもたらして本所法恩寺橋の鈴川の屋敷へ走り、左膳を迎えて今夜にでも斬りこもうという相談。
勇み立ったお藤が、源十郎とともに、だんだん小さくなる栄三郎をめざして小走りにかかると、すうっと片雲に陽がかげって、うそ寒い紺色がはるか並木の通りに落ちた。
このとき、うしろの蔵宿《くらやど》両口屋から出てきた老人の侍が
前へ
次へ
全379ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング