もとより、江戸のあちこちから集まって来る老若男女の群れが自然と行列をつくって切れもなく流れ動いている。
樹間の灯籠が光線の魔術を織り出し、そこここの焚き火の余映を受けて人の顔は赤い。
木の下やみに隠れてつれを驚かそうとする職人、ふくべをさげた隠居、句でも案ずるらしくゆきつ戻りつする大店の主人てい、肩で人浪を分けてゆく若侍の一隊、左右に揺れて押しあいへしあい笑いさざめいてくる町のむすめ達……人を呼ぶ声、ひるがえる袂、騒然とうす闇に漂う跫音――、
夢のなかで、もう一つ夢を見ているような、それは夜霧もまどやかな人出の宵であった。
そこへ、月が昇る。
おぼろ夜にはまだ早いけれど、銀白の紗《しゃ》が下界を押しつつんで、人はいっそうの陶酔《とうすい》に新しくさざめき合う……。
その時、人ごみのなかを左褄《ひだりづま》をとっていそぐ粋な姿があった。
言わずと知れた羽織芸者――水のしたたりそうな、スッキリとした江戸好みに、群集中の女同士さては男までが眼顔で知らせ合って、振り返り、伸びあがって見送っていると、芸者は、裾さばきも軽やかに社庭を突っきり、艶っぽい声を投げて一軒の料理家の戸ぐちをくぐった。
やぐら下まつ川の夢八が、羽織見番へ口がかかって、いまお座敷へ出るところ……。
すぐあとから箱屋が三味線箱をかついでつづく。
これはいかさま箱屋で、その三味線箱なるものが、大工の道具箱にも似ていれば、そうかと思うとあとつけにも見える。あとつけというのは、武士で道中で替差しの刀を入れておく箱のことだ。
お祭り同然の山びらきで座はこんでいる。
「おやまあ、新がおの夢八姐さん、さっきからお客様がお待ちかねでネ、エエエエ、もう、じりじりなすっていらっしゃいますよ」
こう言われて夢八のお艶、通されたのは庭の池に面した表二階の一間だった。
人声と物音が綾をなして直下の道路に揺れている。
どこか遠くの部屋で、酒でも呼ぶらしくつづけざまに手を叩いていた。
廊下に小膝をついて障子をひきあけたお艶、
「ヨウ! 来たね」
という客の、すこし訛《なま》りをおびた嗄声《かれごえ》で、なんだか聞きおぼえのあるような気がして、かすかにさげていた頭をあげ室内を見た。ちんまりと洒落《しゃれ》た小座敷。
骨細のきゃしゃなあんどんをひきつけて坐っている町人のひとり……五十がらみのがっしりとした
前へ
次へ
全379ページ中292ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング