のまれた源十郎はそれでも充分おちつきを示して、この正体の知れない風来坊をひややかな眼で迎えている。
 一尺ほど面前でぴたりととまると、男は両手を腰において、いきなり、馬がいななくように腹の底から笑いをゆすりあげた。
 その声が、銀杏の梢にからんで、秋晴れの空たかく煙のように吸われてゆく。
 いつまでたっても相手が笑っているから、源十郎もつりこまれて、なんだか無性《むしょう》におかしくなった。
 で、にやりとした。
 すると男はふっと笑いをやんで、
「お前は、八丁堀か」
 と、ぶつけるように横柄《おうへい》な口調である。
 小銀杏の髪、着ながした博多《はかた》の帯、それに雪駄《せった》という源十郎のこしらえから、町与力あたりとふんだのだ。与力の鈴源といわれるくらいで、源十郎はしじゅう役人に間違われるが、先方が勝手にそうとる以上は、かれもこのことは黙っているほうが得だと考えて、この時もただ、ぐっ[#「ぐっ」に傍点]とにらんで威猛高《いたけだか》になった。
「無礼者! 前に立つさえあるにいまの言葉はなんだ?」
 男は眼じりに皺をよせて、
「おれのひとりごとを聞いて、お前のほうでもどってきたのではないか。天知る地知る人知る……両刀を帯して徳川の禄《ろく》を食《は》む者が、白昼追い落としを働くとは驚いたな」
「なにいッ!」
 思わず柄へ走ろうとする源十郎の手を、やんわり指さきでおさえた男、
「この溝の中で、はじめから見物していたのだ。あの男の投げていった財布を出せ」いいながら指に力を入れる。
「う、うぬ、手を離せッ!」源十郎はいらだった。「この刀が眼に入らぬとは、貴様よほど酔うとるな――これ、離せというに、うぬ[#「うぬ」は底本では「うね」]、離さぬか……」
「酔ってはいる。が、しかしこの汚濁《おだく》の世では、せめて酔ってるあいだが花だて」
 と奇怪な男、ううい! と酒くさい息を吹いて手の徳利を振った。
 指をふりほどこうとあせった源十郎も、虚静《きょせい》を要とし物にふれ動かず――とある擁心流《ようしんりゅう》は拳の柔《やわら》と知るや、容易ならぬ相手とみたものか、小蛇のようにからんでくる指にじっ[#「じっ」に傍点]と手を預けたまま、がらりと態度をあらためて、
「いや。さい前からの仔細《しさい》をごらんになったとあらば、余儀ない。拙者も四の五のいわずに折れますから、まず山
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