風をまきおこして泰軒に墜下《ついか》した。

 胸に邪計をいだく櫛まきお藤。
 じぶんの恋する左膳が思いをかけている弥生という娘。これがまた左膳の仇敵《かたき》諏訪栄三郎を死ぬほどこがれている――つまり弥生と、先夜源十郎方から逃がしてやったお艶とは激しい恋がたきだと知るや、お藤はここに弥生を突ついて、その心をひたむきに栄三郎へ向けて左膳に一泡ふかせてやろうとたくらんだのだ。
 それには、文つぶての思いつき。
 恋と嫉妬《しっと》は同じこころのうら表だ。離るべくもない。
 しかも、以前から人知れず強い憎悪《にくしみ》の矢を放って、お艶という女を呪いつづけてきた弥生のことである。このお藤の傀儡《かいらい》に使われるとは、もとより気づこうはずがない。一も二もなくお藤の投げた綱に手繰《たぐ》りよせられて、送り狼と相々傘《あいあいがさ》、夢みるような心もちのうちにこの瓦町の家へ届けられてきたのだが……。
 さてこうしてお艶、栄三郎の暮しを目《ま》のあたりに見て、現にお艶と向かいあいながら、さて、その憎い女の口から主人の栄三郎は――などといわれてみると、根が武家そだちの一本気な弥生だけに、世の中を知らぬ強さがすぐこの場合弱さに変わって、はかなさ情けなさが胸へつきあげてきた弥生はただもう泣くよりほかはなかった。
 弥生は泣いた。さめざめと泣いた。
 が、うつ伏せに折れるでもなければ、手や袂《たもと》で泣き顔をおおうでもない。
 両手を膝に重ねて、粛然《しゅくぜん》と端坐してお艶に対したまま、弥生は顔中を涙に濡らして嗚咽《おえつ》しているのだ。
 その泣き声が、傘をすぼめて戸外の露地に立ち聞くお藤の耳にはいると、櫛まきお藤、細い眉を八の字によせていまいましそうに舌打ちをした。
「チェッ! なんだろう、まあだらしのない! 自分の男をとった女と向きあってメソメソ泣くやつもないもんだ。お嬢さまなんてみんなああ気が弱いのかしら――じれったいねえ! 嫌になっちゃうよほんとに」
 こうつぶやいてなおも戸口に耳をつけると、雨の音に増して、弥生の泣き声がだんだん高くなる。
 まことに弥生は、やぶれ行燈《あんどん》に顔をそむけようともせず、流れる涙をそのままお艶へ見せて、オホッ! オホッ! と咳入るように泣いているのだが、それをお艶は、はじめはふしぎなものに思って、あっけにとられて眺めていた。
 美
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