じ拵《こしら》えの刀が二本置いてある。
関《せき》の孫六《まごろく》の作に、大小|二口《ふたふり》の稀代《きだい》の業物《わざもの》がある。ともに陣太刀作りで、鞘は平糸巻き、赤銅《しゃくどう》の柄《つか》に刀には村雲《むらくも》、脇差には上《のぼ》り竜《りゅう》の彫り物があるというところから、大を乾雲丸《けんうんまる》、小を坤竜丸《こんりゅうまる》と呼んでいるのだが、この一|対《つい》の名刀は小野塚家伝来の宝物で、諸国の大名が黄金を山と積んでも、鉄斎老人いっかな手放そうとはしない。
乾雲、坤竜の二刀、まことに天下の逸品《いっぴん》には相違ない。だが、この刀がそれほど高名なのは、べつに因縁《わけ》があるのだと人はいいあった。
ほかでもないというのは。
二つの刀が同じ場所に納まっているあいだは無事だが、一|朝《ちょう》乾雲と坤竜が所を異《こと》にすると、凶《きょう》の札をめくったも同然で、たちまちそこに何人かの血を見、波瀾万丈、恐ろしい渦を巻き起こさずにはおかないというのだ。
そして刀が哭《な》く。
離ればなれの乾雲丸と坤竜丸が、家の檐《のき》も三寸下がるという丑満《うしみつ》のころになると、啾々《しゅうしゅう》としてむせび泣く。雲は竜を呼び、竜は雲を望んで、相求め慕《した》いあい二ふりの刀が、同じ真夜中にしくしく[#「しくしく」に傍点]と泣き出すという。
明日は、十月へはいって初の亥《い》の日で、御玄猪《ごげんちょ》のお祝い、大手には篝火《かがりび》をたき、夕刻から譜代大名が供揃い美々《びび》しく登城して、上様《うえさま》から大名衆一統へいのこ[#「いのこ」に傍点]餅をくださる――これが営中年中行事の一つだが、毎年この日に曙の里小野塚鉄斎の道場に秋の大試合が催されて、高点者に乾雲丸、次点の者に坤竜丸を、納めの式のあいだだけ佩用《はいよう》を許す吉例《きちれい》になっている。もっとも、こういう曰《いわ》くのある刀なのですぐに鉄斎の手へ返すのだけれど、たとえ一時にもせよ、乾坤の刀をさせば低い鼻も高くなるというもの。今年の乾雲丸はぜひとも拙者が――いや、それがしは坤竜をなどと、門弟一同はそれを目的《めあて》に平常の稽古《けいこ》を励むのだった。
その試合の前夜、鉄斎はこうして一年ぶりに刀を出してしらべている。
「お父様、あの、墨がすれましてございます」弥生に
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