みだ》の恋なら、お藤の恋は火の恋だ。
水をぶっかけられて消えたあとに、まっ黒ぐろに焼けのこった蛇の醜骸《しゅうがい》。
復讐!
櫛まきお藤ともあろうものが小むすめ輩《やから》に男を奪られて人の嘲笑《わらい》をうけてなろうか――身もこころも羅刹《らせつ》にまかせたお藤は胸に一計あるもののごとく、とっぷりと降りた夜のとばりにまぎれて、ひそかに母屋の縁へ。
縁の端は納戸。
その納戸の障子に、大きな影法師が二つ。もつれあってゆれていた……。
「ねえお艶、そういうわけで」とお艶の手を取った老母さよの声は、ともすれば、高まるのだった。
「殿様も一生おそばにおいてくださるとおっしゃるんだから、お前もその気でせいぜい御機嫌《ごきげん》を取り結んだらどうだえ。あたしゃ決してためにならないことは言わないよ。栄三郎さんのほうだって、殿様にお願いして丹下さまのお腰の物を渡してやったら、文句なしに手を切るだろうと思うんだがねえ」
お艶は、行燈のかげに身をちぢめる。
「まあ! お母さんたら、情けない! 今になってそんな人非人《ひとでなし》のことが――」
「だからさ、だから何も早急におきめとは言ってやしないじゃないか。ま、とにかくちょっとお化粧《けしょう》をしてお酒の席へだけは出ておくれよ。ね! 笑って、後生だからにこにこして……! さっきからお艶はまだかってきつい御催促なんだよ。さ、いい年齢《とし》をしてなんだえ、そんなにお母さんに世話をやかせるもんじゃないよ。あいだに立ってわたしが困るばかりじゃないか――はいただいま参ります! ねえ、さ、髪をなおしてあげるから」
「いやですったら嫌ですッ!」
とお艶が必死に母の手を払った時、障子のそとに静かな衣《きぬ》ずれの音がとまった。
「今晩は……」
「こんばんは……おさよさんはいますか」障子のむこうに忍ぶ低声《こごえ》がしたかと思うと、そっと外部《そと》からあけたのを見て、おさよははっと呼吸をつめた。
濃《こ》いみどりいろの顔面、相貌《そうぼう》夜叉《やしゃ》のごとき櫛まきお藤が、左膳の笞《しもと》の痕《あと》をむらさきの斑点《ぶち》に見せて、変化《へんげ》のようににっこり笑って立っているのだ。
ずいとはいりこむと、べったりすわって斜めにうしろの縁側《えんがわ》を見返ったお藤、「おさよさん、お前さん何をそんなにびっくりしているのさ。殿
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