酒の場には必ずお艶がひきだされる。
それでお艶は、窓から見える草間の離室《はなれ》へ、あさに晩にこっそり出入りしている隻眼《せきがん》のお侍が、栄三郎様と同じ作りの陣太刀を佩《は》いていることを知って、なんとかして栄三郎様へしらせてあげたいとは思うが――翼《はね》をとられた小鳥同様の身。
が、源十郎はあせるだけで、ゆっくりお艶のそばへもよれず、どうすることもできなかった。いつでも口説《くど》きにかかったりしていると、きまって風のようにおさよが敷居に手を突いて、人が来たという。何か御用は? と顔を出す。源十郎は舌打ちするばかりだった。
いまも、その源十郎のかん走った声が、あし音とともに廊下を近づいてくる。
「さよ! さよ! こらッ、さよはおらぬか」
たちまち身をすくませるお艶を制して、おさよはあわてて部屋を出た。
「あれ、お母さん! またこっちへ来ますよ。早く行っておさえてください……」
お艶が隅に小さくなるのを、おさよは、
「いいからお前は黙ってまかせておおきってば!」
と低声に叱って障子をしめると、おもて座敷をさして廊下を急いだが、そのまも、
「おさよッ!……はて、どこへ行ったあの婆あは?」
という源十郎の声が、突き刺すように近づいてくる。
本所の化物屋敷鈴川の家には、午《ひる》さがりながら暗い冷気が鬱《うっ》して、人家のないこのあたりは墓所のようにひっそりしていた。
小走りに角をまがったおさよ、出あいがしらに源十郎のふところに飛びこんだ。
「なんだ? 婆あか。俺に抱きついてどうする? ははははは、それよりもおさよ、あんなに呼んだのになぜ返事をせん! また、お艶の部屋へ行きおったな」
源十郎は瞬間太い眉をぴくつかせて、
「どうも変だぞ? 貴様、あの娘となんぞ縁故でもあるのか」
とおさよをのぞくと、どきりとしたおさよはすぐさま惨《みじ》めに笑いほごした。
「いいえ殿様、とんでもない! ただ若いくせにあんまり強情な娘で、それに殿様がお優しくいらっしゃるので、いい気になりましてねえ、そばで見ていてもはがゆいようでございますから、この婆あがちょくちょく搦手《からめて》から攻めているんでございますよ」
とおさよはなんとかしてあやなす気でいっぱいだ。
「そうか。おれも荒いことは好まんから恥ずかしながらあのままにしてあるが……まま貴様、なにぶん頼む。
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