ことを申し上げたそうで、どうも、お聞き流しを願います。これが知れましては私は大罪人、お情をもって御他言なさらないように――。」
「お前さん顔に似合わねえ凄いことをしなさるなあ。いや、人には話さないから安心しなさい。」
こう言って源右衛門が大きく胸を叩いて見せると、女はそれから打ちしおれて、るる[#「るる」に傍点]として自分の素性なるものを物語った。
それによると女は、日本橋のさる老舗の娘などと言ったのは嘘の皮で、じつはこうやって方々の貸家を移り歩いてはにせ[#「にせ」に傍点]の小判を造っている女悪党だとのことだった。これにはさすがの源右衛門も胆《きも》をつぶしてしまったが、それよりも彼の驚いたのは、女の拵《こしら》えた小判が、どこへもって行っても立派に通用するという事実だった。それを女に言うと、もうすっかり本性を出した女は、立膝かなんかで、源右衛門の煙管《きせる》を取り上げてすぱりすぱり[#「すぱりすぱり」に傍点]とやりながら、
「あい。それがあたしの手腕《うで》でさあね。もとは銅《あか》なんだけれど、ちょいとしたこつ[#「こつ」に傍点]で黄金《こがね》に見えるんだよ。あたしはこの術を切支丹屋敷《きりしたんやしき》の南蛮人《なんばんじん》に聞いたんでね。道具がちっとも揃ってないから、いくらかちかち[#「かちかち」に傍点]急いだってひと晩に一枚しきゃできやしない。ほんとにじれったいったらないのさ。」
これで源右衛門は二度びっくりして、
「道具がなくてひと晩に一枚しきゃできない? すると道具が揃えばひと晩にもっとたくさんできるのかい?」
女はすましていた。
「そうたくさんもできないけれど、まあ、十枚や十五枚はねえ。」
「そりゃ豪気《ごうぎ》だ!」
と思わず源右衛門が大声を出すと、女が手を振った。
「いやですよ、この人は。人に聞えたら私が困るじゃないか。」
源右衛門は頭を掻きながら膝を進めて、
「そ、その話はほんとかね?」
「だれが嘘を言うもんか、あたしの暗いところじゃないの。」
「で、その拵《こしら》える道具ってどんな物だね?」
「道具じゃない、機械だよ。」
と、女は答えて、源右衛門の出す紙と矢立《やたて》を取って、その、銅の板から小判を造りだすという南蛮伝授の機械なるものを図面にして画《か》いて見せた。そして、自分は委《くわ》しく聞きもしたし、細工物は手に覚えもあるので、あちこちから材料や道具さえあつめれば、自分の手一つでこっそりその機械をつくり上げて、機械さえあればひと晩に十五、六枚の小判を作ることはなんでもないといった。しかもその小判は、いかにその道の役人が検べても、金座で吹いたものと寸分の相違はないのだ。これは源右衛門自身が経験してよく知っている。
役人がきわめをつけたいじょう、この女の作る小判はにせ[#「にせ」に傍点]ではなくてほん物なのだ!
源右衛門はとっさに考えた。それではこの女に資本を下ろしてやって機械を作らせ、どんどん小判をこしらえさせれば、たちまちにして分限者《ぶげんしゃ》になるわけだと――彼は声を小さくして訊いた。
「で、その機械をこしらえる費用は?」
「そうねえ。まず三百両あったらちょいと間に合うかねえ。」
そこで源右衛門は平蜘蛛のようになってこの福の女神を拝んだのだった。
翌朝《あくるあさ》さっそく息子の源七の手前を何とかつくろって、源右衛門はその金を女へ渡したのだったが――結果は知れている。女もその妹という子供も、それきり豆店へは帰って来なかった。言うまでもなく女の小判は金座方の手になったほんとの小判だったのだ。女は新しい小判を相当用意して来て、夜中に起きて鍋や釜を火箸ででも叩いたり擦ったりして、さんざん壁越しに源右衛門の注意を惹《ひ》いたのち、朝になると必ず子供に小判をもたせて出してやって、機《おり》を見て子供の口から源右衛門へ吹き込ませたもので――女が良くて、おまけに子供まで入っていたとはいえ、もとはといえば源右衛門の慾から出たことなので、豆店の人々は、まんまと三百両|騙《かた》り取られた源右衛門を当分物笑いにしていたが、ひょい[#「ひょい」に傍点]とこの話を聞き込んだのが、早耳という異名をとった花川戸の親分、岡っ引の三次だった。で、それとなくあちこちへ網を張ってその女を待っていると、間もなく思いがけないところでこの子供づれの女ぺてん[#「ぺてん」に傍点]師の尻尾を掴まえることができた。
第二話
そのころ駒形に兼久《かねきゅう》という質屋があって、女房に死なれた久兵衛という堅造《かたぞう》のおやじが、番頭と小僧を一人ずつ使って、かなり手広く稼業をしていた。花川戸の三次の家とはそう遠くもないし、町内の寄り合いや祭の評議などでよく顔が合うので、出入りというわけではなかったが、早耳三次も兼久とは親しく知り合っていた。
もう薬研堀《やげんぼり》にべったら[#「べったら」に傍点]市の立つのも間もないという、年の瀬も押し迫ったあるうすら寒い日だった。
おもてを行く人の白い息を格子のあいだから眺めながら、ちょっと客も途絶《とだ》えたので、番頭と小僧が店頭《みせさき》の獅噛火鉢《しがみひばち》を抱き合って、何やら他愛《たあい》もないはなしに笑いあってると、凍《い》てついた土を踏む跫音が戸外《そと》に近づいて、
「いらっしゃいまし。」
と、二人が言った時は、商家の大旦那風の服装《みなり》の立派な見慣れない男が土間に立っていた。
何か心配ごとでもあるらしく、突き詰めた顔で、主人《あるじ》は在宅かと訊く。これは質をおきに来た客ではないとわかって、番頭はすぐ小僧を奥へやって主人を呼ばせた。主人が出てみると、客は上り口の座蒲団《ざぶとん》に腰を下ろして、すぐこう口を開いた。
「これは兼久さんですか。いや私は尋ね人があって江戸じゅうの質屋を廻っているものだが、じつはね、こういう女があなたのところへ来ませんでしたか。いま、人相書をお目にかけますが――。」
言いながらごそごそ[#「ごそごそ」に傍点]懐中を探って、男は四つにたたんだ古い紙片《かみきれ》を取り出してひらいて主人のほうへ押しやった。見るとなるほど女の似顔が画いてある。二十《はたち》前後の美《い》い顔だった。兼久と番頭と小僧の六つの眼が紙へ落ちると、男も向う側から覗き込んで、説明の言葉を挾んだ。
「尋ね人と言ったって、何も別にお上の筋じゃあないから、ひとつ包まず隠さず話してもらいたいんだが、この女ですがね――年は二十そこそこ、なかなかの美人だ。が、眼にすこし険がある。ちょいとうけ口だね。背は高からず、低からず、中肉で色は滅法界《めっぽうかい》白い。服装《なり》は、さあ――何しろ旅から旅を渡り歩いているんだから、おそろしく汚のうがしょうが、なによりの目標《めじるし》てえのがこの右の眼の下の黒子《ほくろ》だ。ねえ。」と男は紙の似顔の黒点を指さしながら、「ねえ、こんな大きな黒子だから、誰だって見落すわけはない。さあ、仔細《しさい》はあとで話すとして、どうですね、この女がお店へ質をおきに立ち寄りませんでしたか。」
そう言われて久兵衛と番頭は、もう一度絵の顔を見直して思い出そうとつとめてみたが、考えるまでもなく、そんな女は兼久へは来なかった。で、きっぱりとそのむねを答えると、男はひどく落胆したようすだったが、
「そうですか。やっぱりお店へも来ませんでしたか。しようがねえなあ。」
と、しばらくひとりでこぼしていたが、やがて思いきったように向き直って、次のようなことを話しだした。
この男は、甲府の町のある家主で、三月ほど前、自分の店《たな》に十年も住んでいた独り者のお婆さんが死んだので、そのあと片付けをすると、意外にもお婆さんが床下に二百両という大金を大瓶へ入れて埋めてあったのを発見した。それと同時に、書置きが出てきて、その文面によると、お婆さんにはたった一人の娘があって、子供の時に喧嘩して家を飛び出して行ったが、なんでも風の便りでは、このごろは江戸にいるらしいとのことだから、どうかして娘を探しだしてこの金をそっくり[#「そっくり」に傍点]届けてもらいたいとの遺言であった。そこで、ながらく世話をしたお婆さんのことではあり、ことに死人の望みなのだから、土を掘ってもその娘を探して、金を渡してやらなければならないというので、根《ね》が真面目な家主は、金のことだけあって、他人《ひと》には委《まか》せられない。すぐにあちこち聞き合わせたのち、この人相書を作って、自分で江戸へ出て来たのだった。
それから今日まで二タ月ほどのあいだ心当りを探ってみると、それらしい娘が江戸にいて、何を商売にしているものか、渡り者みたいに落ちぶれて次からつぎと質をおいてまわっていることがわかった。そこで甲府の家主が、片っ端から江戸じゅうの質屋を歩いてみると、寄ったところもあるし、寄らないところもある。ところが、ここにもう一つ不思議なことは、その女が立ち寄っておいたという質草が、いつもきまって同じ物だった――蝶々の彫りをした平《ひら》うちの金かんざし。
どういう量見《りょうけん》で、どこへ持って行ったってあまり貸しそうもない金かんざしなどをぐるぐる[#「ぐるぐる」に傍点]方々の質屋へ出したり入れたりして歩いているのかわからないが、とにかく、行った質屋へは必ず蝶々彫り平打ち金かんざしを質において、二、三日して受け出しに来ている。その寄った質屋のあとを辿《たど》ると、どうやら品川からこっちへ来て、もうそろそろ[#「そろそろ」に傍点]このへんへ現われるころだというのだ。
「それで、ちょっと来てみたんですがね、私も国に用があるし、そういつまでも探し廻っているわけにもゆかない。早く探しだして金を渡しちまわなくちゃあ、死んだ婆さんへ気がすまなくてしようがない。金は宿に持って来てあります。でね、この人相書の黒子の女がいまお話しした金かんざしを質におきに来たら、ちょい[#「ちょい」に傍点]と押さえておいて、私まで知らせてくれませんか。宿ですか、馬喰町《ばくろちょう》の相模屋《さがみや》てえのに旅籠をとっていますから、どうぞひとつくれぐれもお願いします。」
こう言って帰って行った家主のうしろ姿へ、三人は感心して首を振った。
何という堅い仁《ひと》だろう。今どき珍しい美しい話だ。その娘さんが見え次第、小僧を馬喰町へ走らせることに相談して、兼久の店では、それから毎日きょうか明日かと女の来るのを待っていた。
ところが、女は来ない。
そのうちに年の暮れの忙しさにまぎれて、忘れるともなく忘れて年が改まった。そうしてやがて冬も残りすくなになり、吹く風にも春の呼吸が感ぜられるころ、ある朝、ごめん下さいとはいって来たのを見ると、これこそ去年甲府の家主のはなしに聞いた黒子の女だったから、小僧は奥へすっ飛んで知らせる。出て来た主人へ女が質草として差し出したのが、脚に蝶々の彫りのある平打ちの金かんざしだったので、番頭と主人が右左から甲府の大家の話を伝えると、女はきょとん[#「きょとん」に傍点]とした顔になって、
「いいえ。私は甲府の者ではありません、父も母もあって本所のほうに住んでおります。第一、このかんざしを質におきますのは、今日がはじめてでございます。その甲府のお話は、お人違いでございましょう。」
こう言われて兼久も番頭ものけ[#「のけ」に傍点]反《ぞ》るほど驚いた。見ればみるほど、家主の話した娘にそっくりである。年ごろ顔かたち、みすぼらしい服装《なり》――それに何よりも右の眼の下の大きな黒子とこの蝶々彫り平打ちの金かんざしである。
主人と番頭がなおも交《かわ》るがわる訊き返してみたが、女はあくまでも本所の者で、何の関係もないと言い張った。
この時だった! 堅人で通っていた質屋久兵衛の頭へ、万破れることのない奸計《かんけい》が浮んだのは。
黒子といい、かんざしと言い、これほど似た人間がまたとあろうか。ことに話によれば、あの甲府の家主も女を直《じか》には知らないのである
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