間に立つと三尺ほどの高さで、被《かぶ》せ板が左右に一寸ほど食《は》み出ているぐあいが、なんのことはない、経机の形だった。
大店だから三次もなにかと出入りすることがあったが、いちいち店の者の顔を視覚《おぼ》えているほどではなかったので、三次が、身分を明かして根掘り葉掘り訊き出すまでは、亀安のほうでも、昨日のことについては容易に口を開こうとはしなかった。
が、煎餅屋の女房が身投げして、それについて花川戸の早耳親分が出張って来たとあっては、何もかも割って話さざるを得ない。
昨日の午後、というよりも夕方だった。
煎餅屋の女房が買物に来て、根掛けを選んでいるうちに、ふ[#「ふ」に傍点]と見ると、今まで台の上にあったうし[#「うし」に傍点]紅珊瑚が一つ足らなくなっている。で、小僧を励《はげ》ましてそこらを捜して見たが見当らない。すると、前から来ていて買物を済まして、その時出て行こうとしていたお妾《めかけ》ふうの粋な女が、供の下女と一しょに引っ返して来て、こういう事件《こと》ができた以上、このまま帰るのは気持ちが悪いから、気のすむように身柄を審べて貰いたいとかなり皮肉に申し出た。店では恐縮して、奥の一間で衣類なぞを検《み》てみたが、もちろん品物は出てこなかった。女はふん[#「ふん」に傍点]と鼻を高くして、下女を連れて帰って行った。そこで、自然の順序として、今度は、煎餅屋の女房をしらべさせて貰うことになったが、このほうは泣いて手を触れさせないばかりかそのうちに隙を見て逃げて帰った。身に暗いところさえなければ嫌疑《うたがい》を霽《は》らすためにもここは自分から進んで調べてくれと出なければならないところを、これはいよいよもって怪しいとあって、それからすぐに跡を追って家へ行って、夫《おっと》立会いの上で身体《からだ》を審《しら》べてみたら、案の定、乳の下の帯の間から、失くなった珊瑚が出てきた。ともかく珊瑚が戻ったのだから、今度だけは内済にして、そのうえ別に強談《ごうだん》もしなかったという。あの内儀《おかみ》がゆうべ自殺したと聞いて、番頭は不思議そうな顔をしていた。
台の上には、他の物と一しょに、丸にい[#「い」に傍点]の字の田之助《たゆう》珊瑚が五つ六つ飾ってある。大きさも意匠《いしょう》もみな同じようで、帯留の前飾りにできたものだった。三次は黙ってそれを凝視《みつ》めていたが、そのうちに、
「その昨日の珊瑚もこのなかにありますかえ。」
と訊いた。番頭が、ありますと答えると、三次は、
「どれだか、あっしが当ててみせよう。」
と言いながら、一つ一つ手にとって指頭で触ってみたり、鼻へ当てて嗅いだりしていたが、やがて、そのうちの一つを掌《てのひら》へ載せて、
「これだろう、え?」
と言って、番頭の眼の前へ突き出した。番頭はびっくりして、頷首《うなず》いた。
「へえい! こりゃ驚いた。どうしてそれ[#「それ」に傍点]だとわかりました?」
「ま、そんなこたあどうでも好《え》えやな。それよりゃあ番頭さん、珊瑚が無えとお前さんが言いだした時、煎餅屋の女房はどうしましたえ。」
「愕然《ぎょっ》として突っ立ちました。」
「台《でえ》の傍にかけてたろう、え?」
「はい。この台のそばに腰かけていましたが、珊瑚が失くなったと騒ぎだしたら、あわてて起ち上りました。」
三次はしばらく考えた後、
「この珊瑚珠《さんごだま》あ毎日拭くんでがしょうな?」
「ええ、ええ、それは申すまでもございません。へえ、毎朝お蔵から出して台へ並べる時に、手前自身で紅絹《もみ》の布《きれ》で丹念《たんねん》に拭きますんで、へえ。」
それにしては、今三次がたくさんの珊瑚の中からそれ[#「それ」に傍点]と図星を指した問題の品に、伽羅《きゃら》油の滑りとにおいが残っているのが、不思議であった。お藤の帯の裏にも、伽羅油の濃い染みがあったことを、三次は思い返していた。
一つ解《ほ》ぐれれば、あとはわけはない。
眉を顰《しか》めて思案に耽《ふけ》っているうちに、早耳三次、急に活気を呈してきた。見得《けんとく》の立った証拠ににわかに天下御免の伝法風になった御用聞き三次、ちょっと細工をするんだからとばかり何にも言わずに、番頭を通して奥から碁石を一つ借り受けた。それから、例の框《かまち》の上の飾台《だい》の前に立って、何度となく離れたり蹲踞《しゃが》んだりして眺めていたが、やにわに台の下を覗き込んだ。
その、一寸ほど出張った上板の右の裏に、こってりと伽羅油の固まりが塗ってある。冬分のことだから空気が冷えている。油はすこしも溶けていない。にっこり[#「にっこり」に傍点]笑った三次、そこへ、件《くだん》の碁石を貼りつけた。
そうしておいて、ずっ[#「ずっ」に傍点]と離れたところに腰をかけて、
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