が、そのうちに、
「その昨日の珊瑚もこのなかにありますかえ。」
 と訊いた。番頭が、ありますと答えると、三次は、
「どれだか、あっしが当ててみせよう。」
 と言いながら、一つ一つ手にとって指頭で触ってみたり、鼻へ当てて嗅いだりしていたが、やがて、そのうちの一つを掌《てのひら》へ載せて、
「これだろう、え?」
 と言って、番頭の眼の前へ突き出した。番頭はびっくりして、頷首《うなず》いた。
「へえい! こりゃ驚いた。どうしてそれ[#「それ」に傍点]だとわかりました?」
「ま、そんなこたあどうでも好《え》えやな。それよりゃあ番頭さん、珊瑚が無えとお前さんが言いだした時、煎餅屋の女房はどうしましたえ。」
「愕然《ぎょっ》として突っ立ちました。」
「台《でえ》の傍にかけてたろう、え?」
「はい。この台のそばに腰かけていましたが、珊瑚が失くなったと騒ぎだしたら、あわてて起ち上りました。」
 三次はしばらく考えた後、
「この珊瑚珠《さんごだま》あ毎日拭くんでがしょうな?」
「ええ、ええ、それは申すまでもございません。へえ、毎朝お蔵から出して台へ並べる時に、手前自身で紅絹《もみ》の布《きれ》で丹念《たんねん》に拭きますんで、へえ。」
 それにしては、今三次がたくさんの珊瑚の中からそれ[#「それ」に傍点]と図星を指した問題の品に、伽羅《きゃら》油の滑りとにおいが残っているのが、不思議であった。お藤の帯の裏にも、伽羅油の濃い染みがあったことを、三次は思い返していた。
 一つ解《ほ》ぐれれば、あとはわけはない。
 眉を顰《しか》めて思案に耽《ふけ》っているうちに、早耳三次、急に活気を呈してきた。見得《けんとく》の立った証拠ににわかに天下御免の伝法風になった御用聞き三次、ちょっと細工をするんだからとばかり何にも言わずに、番頭を通して奥から碁石を一つ借り受けた。それから、例の框《かまち》の上の飾台《だい》の前に立って、何度となく離れたり蹲踞《しゃが》んだりして眺めていたが、やにわに台の下を覗き込んだ。
 その、一寸ほど出張った上板の右の裏に、こってりと伽羅油の固まりが塗ってある。冬分のことだから空気が冷えている。油はすこしも溶けていない。にっこり[#「にっこり」に傍点]笑った三次、そこへ、件《くだん》の碁石を貼りつけた。
 そうしておいて、ずっ[#「ずっ」に傍点]と離れたところに腰をかけて、
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