一流に徹した剣客の狂刃であろうと、町奉行配下の与力《よりき》同心《どうしん》を始め町方の御用聞きに到るまで、言い合わしたように町道場の主とその高弟たち、さては諸国から上って来た浪人の溜りなどへしきりに眼を光らせてきたが、袈裟がけの辻斬りは一向に熄《や》まないうちに、年がかわった。さすがに松の内だけは血腥《ちなまぐさ》い噂もないと思っていると、春の初めの斬初めでもあるまいが、またしてもここに甚右衛門井戸の女殺しとなったのである。
二
殺された女は、井戸のすぐ前の家に父親の七兵衛と一緒に住んでいるお菊という娘であった。三次たちの気勢《けはい》を聞きつけて起きて来た長屋の者が消魂《けたたま》しく戸を叩いたので、七兵衛も寝巻姿で飛出して来たが井戸端の洗場に横たわっている娘の死骸を見ると、駈寄って折重なったまま一声名を呼んだのを最後にそれきり動かなくなってしまった。狼狽《あわ》てて抱起すとがっくり[#「がっくり」に傍点]首が前へのめって、七兵衛はすでに息を引取っていた。現代《いま》の言葉でいうと心臓痲痺《しんぞうまひ》であろう、あまりな不意の驚きに逆上したとたん、あえなくなった
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