籠を停めて前棒が闇黒《やみ》に隠れることがあったが、酒代《さかて》でも強請《ねだ》りに客を追うのだろうくらいに考えて、辰は別に気にもとめなかったというが、迂濶《うかつ》といえばこれ以上迂濶な話はないけれど、蜻蛉の辰という人物にはありそうなことだった。が、自分でもいくらか臭いにおいを嗅いだかして、饂飩《うどん》を売りに出るなどと辰は世間体を誤魔化していたのである。
 早耳三次が白眼《にら》んだとおり、甚右衛門店のお菊殺しは大之進の仕業《しわざ》であった。十四日夜の四つ時、例によって二人が悪業の駕籠を肩に天王町の通りを材木町へ差しかかると、向側から来た人影が茶屋町のとある路地へ切れた。それを見ると久方ぶりに殺心むらむら[#「むらむら」に傍点]と燃え立った大之進は、駕籠を捨てて追い縋り井戸端で二つに斬って水へ沈めた。その間、すこし離れたところに駕籠を守って辰が放心《ぼんやり》待っていたというから、こいつ[#「こいつ」に傍点]の眼玉は大きいだけでよくよく役に立たなかったものとみえる。ふ[#「ふ」に傍点]とした悪戯気《いたずらげ》から辰の家とは知らずにお菊の下駄を抛り込んだり、障子に血の痕を付け
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