郡《かとりぐん》飯篠村《いいしのむら》の飯篠山城守《いいしのやましろのかみ》家直入道長威斎《いえなおにゅうどうちょういさい》が開いたもの、「此流《このりゅう》勝負を以仕立教也《もってしたつるおしえなり》」とその道の本にさえあるところを見ると、よほど攻めを急いだ実用一方の太刀筋であったらしい。自暴自棄な年若の大之進が腕ができるにしたがい人斬り病に罹《かか》ったのも、狂人《きちがい》に刃物の喩《たと》え、無理からぬ次第であったとも言える。人が斬りたいばかりに天狗へ走った大之進も理窟が嫌いなところからまた江戸へ舞い戻ってみると、天下は浪人の天下、攘夷の冥加金《みょうがきん》を名として斬奪群盗《きりとりぐんとう》が横行している始末に、大之進つくづく考えると徳川三百年の余命《よめい》幾何《いくばく》とも思われない。なんらかの形で近く御治世に変革があるものと観なければならないが、そうなった暁先立つものは商法の金子《きんす》であろう。その資金の調達には夜盗が一番|捷径《ちかみち》だが、押込みの方は浪士が隊を組んでいるから自分は一つ単独行動に辻斬と出かけてやれ、それも盗賊改めが厳しいので、駕籠でも担いで夜の街を歩きまわり、斬る時だけ侍の服装《こしらえ》をして疑いを浪人の群へ嫁《か》し、己れは下素《げす》の駕籠屋になりきって行こうと思いついた。そこで四手駕籠の前棒に細工をして一|貫子近江守《かんしおうみのかみ》の一刀を抜身のままで填《は》め込み、侍支度を小さな風呂敷包にして棒根へくくりつけ、誓願寺裏へ駕籠を置きざりにしておいては蜻蛉の辰を後棒にして、侍になったり駕籠かきに返ったり、電光石火《でんこうせっか》の早変り、袈裟がけの覚えの一太刀に江戸の町を荒し廻っているのだった。
 前年の晩秋どこかへ用達《ようた》しに行った帰り、夏|嚊《かかあ》に死なれて悄気《しょげ》きっていた辰は途上で未知の大之進に掴まって片棒かつぐことになったのだが、名も言わず聞かず、ほとんど口もきかずに、ただ一晩駕籠を担いで歩きさえすれば客があってもなくても朝別れる時には大之進が相当の鳥目《ちょうもく》を渡してくれるので、怪しいとは思いながら毎夜約束の刻限には誓願寺裏へ出かけて行った。大之進は必ず先に来て待っていた。こうしてどこの誰とも互いに識らない二人が、一つ駕籠をかついでいたのである。時々暗い個所《ところ》で駕
前へ 次へ
全13ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング