ていた。


    雲の峰


      一

 掛川は、人口もかなりあり、いかにも太田摂津守五万三十七石の城下らしい、どっしりと古びた町だ。具足屋は、龍造寺主計が来てから、すっかり面目を一新して、これだけの町の脇本陣の名にそむかない、立派な間口と、絶えない客足を誇っていた。駕籠がとまって若松屋惣七がおりるのを見ると、艶《つや》やかにふきこんだ広い上がり框《かまち》から、龍造寺主計がころがり出て来て、惣七を迎えた。
 が、駕籠が一つきりなのを見て、龍造寺主計は、ちょっと失望のいろをうかべて、
「お主だけか――」
 と、いった。このことばの影には、お高はいっしょに来なかったのかという意味があったのだが、若松屋惣七は気がつかなかった。まして龍造寺主計の失望の色には、少しも気がつかなかった。
「うむ。しばらくでありましたな」
 きげんよく笑って、立った。龍造寺主計もすぐ気がついて、瞬間のうちにその失望から立ち直って、いつもの快活な彼に返っていた。いま、お主だけか、と驚いたように聞いたことに引っかけて、
「お主だけか、ひとりではたいていではなかったであろう。眼は、もうよいのか」
「眼か。よいようでもあり、よくも悪くもならんでもあり――龍造寺殿の顔ぐらいははっきり見えるよ。ときに、だいぶ繁盛のようじゃな」
「来るくるといって来んもんだから、いかが致したかと思っておった。後刻ゆるゆるとそこここ見てもらいたいし、その後の商売の模様など、話はいろいろ積もっておる」
 二人は、久しぶりに会った兄弟のような気もちに、とけ合って行っていた。龍造寺主計の案内で、若松屋惣七は、具足屋のうちからそとからそこここ見てまわって、その後の商売の模様などいろいろと話し合った。
 帳面の上では非常なもうけになっているのだが、つい最近まで兄の借金が残っていて、そっちのほうへまわしていたため、このごろになって具足屋は、やっと龍造寺主計の身銭《みぜに》から離れて、家だけの財政として独立したかたちになっていた。大変なはやりようで、食事どきには広い台所の板の間に膳部がならび、いつ見ても、草鞋《わらじ》を脱いだりはいたりする人が、二、三人も四、五人も土間のあがり口に腰かけていた。
 帳場の奥の部屋へ通ると、若松屋惣七はあらためて龍造寺主計に礼をいった。武士上がりで今は、旅籠屋《はたごや》の主人という、変わった経歴の龍造寺主計は、見ていると面白いほど、相手と場合によって、侍《さむらい》になったり宿屋の亭主になったりして、それがまた、何ら不自然な感じを見せずに、二つの性格を生きているようすだった。
 若松屋惣七が礼をいうと、そのときは龍造寺主計はすぐ武士に立ち返って、
「なあに、おれには何もできはせぬ。これもすべて、江戸の若松屋惣七がいよいよ真剣に乗り出したという評判が立ったからだ。いわばお主は、江戸にいて、この掛川の具足屋を生かしたのじゃ」
 などとあっさり謙遜《けんそん》して、相手を立てた。それからこれは述懐らしく、しんみりいった。
「武道と商道は一致するものだな。どちらも気ひとつである。硬きがごとくして軟《やわら》かく、柔らかきがごとくして固く、つるぎをとる要領で算盤《そろばん》を持つのだ。剣をとるには、濡れ手ぬぐいを絞るようにやんわり持つ。そろばんを手にするにも、このこつが第一だ――ということを、なに、このごろ発見したばかりじゃ。あはっははは」
 とつるりと顔をなでて、もう何をいったか忘れたようにすまし返ったのだが、そのようすをぼんやり網膜へうつして、若松屋惣七は、相変わらずの龍造寺主計であるとにっこりした。
 龍造寺主計の義侠《ぎきょう》で、もとの経営者|東兵衛《とうべえ》の妻女が女中頭に使われていて、挨拶《あいさつ》に出た。東兵衛は、まだ気がふれたままで裏山に掘立て小屋を作って入れてあるとのことだったが、若松屋惣七は、妻女の気もちも察して、見舞う気になれなかった。
 経営の打ち合わせや、帳簿の引きあわせなど、そのために来た用事が、何日もつづいて尽きなかった。二人は、毎日帳場にすわって、話しこんだり、出入りの客に挨拶したりしていた。田舎《いなか》びた鷹揚《おうよう》な、鈍重なその日その日だった。激しい江戸の生活で疲労していた若松屋惣七の神経は、恐ろしいスピイドで恢復《かいふく》しつつあった。
 よく雨が降った。雨雲を仰ぎながら、旅人の一団が前の街道を走り去ると、それを追って、白い驟雨《しゅうう》が刷《は》いて過ぎた。埃《ほこり》をしずめて、街《まち》は銀に光った。かっとまた太陽が照りつけて、けむりのような陽炎《かげろう》がゆらいだ。松のあいだをゆく笠が、それ自体ひとつの生物のように、軽快にうごいて見えた。大名の行列もいくつとなく通った。具足屋に泊まったのも、すくなくなかった。そんなような、毎日だった。
 若松屋惣七は、遠く離れて、いっそうお高のことを真剣に思うようになった。龍造寺主計は、久しぶりに若松屋惣七を見て、そして、惣七といっしょに来るであろうと思っていただけに、またいっそうお高のことを思うようになった。ふたりは、ときどきぼんやり考えこんで黙りこんでいることがあった。
 どっちか、先に沈黙に気がついたほうが、きいた。
「おぬし、何を考えている」
「お主こそ、何を考えておった」
 二人とも、お高のことを考えていたとはいわずに、
「なに、ちょっと――」
 と、同じことばを同時にいいあって、それから、いっしょに笑った。そして、ふっとまた黙りこくって、両方ともお高のことを考えた。

      二

 そのお高のことで、一空和尚《いっくうおしょう》から飛脚が来たのだった。王子権現の祭で、日本一太郎と名乗るお高の父相良寛十郎の掛け小屋で火事があって、磯屋五兵衛が焼死して、お高が自由の身になったというのである。
 この手紙を見ると、仕事もだいたい片づいたところだったので、若松屋惣七は、すぐ江戸へ帰ることになったが、龍造寺主計も、しばらく江戸を見ていないので、あとを東兵衛の妻女にまかせて、若松屋惣七といっしょにちょっと江戸へ出ようといい出した。若松屋惣七も、道づれにはなることだし、長らく田舎にくすぶってきた龍造寺主計に江戸を見せたい気も多かったので、二人はすぐに旅支度をととのえて出発した。
 お高は、拝領町屋の雑賀屋のおせい様の家から、小石川金剛寺坂の若松屋惣七の留守宅へ帰ってきていた。晩春のような、だるい憂鬱《ゆううつ》な空が、むしむしする熱気をもって、金剛寺坂のあたりを押えつけていた。お高は、何かに呼ばれてここへ帰って来たものの、さて、その自分を呼んだものが何であるのか、さっぱりわからないといったような、夢の中で暮らしているような気もちをつづけていた。
 磯五が焼け死んだことも、うれしいようであり、かなしいようであった。それは、自分があの色悪《いろあく》と縁が切れて、じぶんをどう生かしてゆこうと自分の勝手になってきたのはうれしかったが、それでも、あの磯五ともう戦うことがなくなり、それに、今後じぶんは、単なる金の番人として暮らして行かなければならないと思うことは考えるだけで、かなりにお高を不愉快にし、かなしいことだった。
 自分に財産がきてから、若松屋惣七が急によそよそしくしだして、とてもいっしょになる気もちなどはないらしく見えたからだった。財産のあるお高と夫婦になって、財産があるから夫婦になったのだと思われたくないという、若松屋惣七らしい意地だった。磯五という邪魔《じゃま》がなくなったいま、お高と若松屋惣七のあいだを邪魔するものはこうしてお高の財産であった。
 お高は、誰の顔も見ないように、ほとんど一部屋に閉じこもって日を過ごした。心もちの苦しみが、からだの苦しみにまでなってきていた。その刺すような苦しみが、お高をはっきりと自意識にもどして、彼女は生き返ったような気がすることがあった。じぶんは今まで死んでいたのだと思うことがあった。
 じっさい、お高は、この最近の磯五との交渉や、母のおゆうの遺産受け継ぎの問題などで、多くのいざこざを[#「いざこざを」は底本では「いざくざを」]重荷のように負わされていたのから解放されて、もとのさわやかなお高にさめつつあった。よみがえりつつあった。
 恋だの愛だのという心臓はふさがって、いのちは糸のようにほそっても、大きな財産さえあれば、幸福である。それが何よりの慰めになるという人が、世の中にはすくなくないものだが、お高の場合は、そうでなかった。反対だった。
 さびしい、しかし、生きいきした光を持ち出してきた眼を壁にすえて、室外《そと》に進む夏のけはいを感じてじっと味わいながら、お高は、口をきくのもおっくうで、一日中ただすわっていることが多かった。肩で呼吸《いき》をして、苦しそうに、額が汗ばんでいることが多かった。
「もうじき身ふたつにおなりになるのさ」
 膳を運んでくる国平が、供部屋へ帰って、佐吉と滝蔵にささやいたりした。
 若松屋惣七と龍造寺主計が帰って来ると、お高は、長いことためらっていて、その、惣七の帳場になっている奥の茶室へはいって行かなかった。龍造寺主計が、あの初めて来たときのように、庭を隔てた別棟《べつむね》に落ちつくと、お高は、思い切って若松屋惣七の部屋へ出かけて行った。
 若松屋惣七は、着がえをすまして、よく見えない眼を庭へ向けているところだった。それは、お高がよく見慣れた座像であった。お高は、泪《なみだ》が流れるのにまかせてそのまま若松屋惣七のまえへ行ってべったりすわった。
 若松屋惣七は、風のようなお高のにおいを感じて、その来る方向へからだを転じてすわり直した。お高を受けとめようとするように両手をひろげたが、お高は、すこし離れたところにくずれてしまって、その手の中へはころげ込まなかった。
「いま滝蔵から聞いた。ここに帰って来ておったのだそうだな」若松屋惣七は、茶碗《ちゃわん》の糸尻《いとじり》をすり合わせるような、いつになく上ずった声だ。「知らなかったぞ。何しに帰って来たのだ」
「旦那様は、わたくしになど、もうお会いくださるお気もないのでございましょうけれど――」

      三

「そうでもない。会いたくないくらいなら、何もこういそいで掛川からもどって来ることはないのだ」
「では、おあいくだすっても、どういうことになさろうというお気は、ないのでございましょう。そうなのでございましょう」
「どういうことにするとは、どういうことだ。愚かな、わけのわからんことをいうものではない」
「具足屋のほうはいかがでございますか」
「芽を吹いたどころか、みごとな花が咲いて、やがて、たいした実がなろうぞ」
「龍造寺主計さまが、ごいっしょにお帰りになったようでございますねえ」
「うむ。用もないが、ま、久方ぶりに江戸見物というところである。あとでお眼にかかるがよい」
「――」
「からだのほうはどうか」
「はい」
「一空さんから来書があって、それで急にもどって来たのだが、磯五が焼死いたしたというではないか」
「はい。父の手妻小屋の火事で、おしんさんと、それからお美代とか申す女と、三人で焼け死にましてございます」
「天命じゃ。が、いささかさびしい気もするな」
「そのうえ、あの人が火をかけたことになりまして、南の大岡様のお計らいで、火つけあつかいでございます。地所、家作は申すに及ばず、蔵から店の品物まで、そっくりお取り上げになりまして、いっさい、おせい様へお下げになりますのだそうでございます。磯屋の店はつぶれましてございます。せいせいいたしました。それに、おせい様も、何やかやと磯五にとられましたものが皆手に返ることになりまして――」
「それは、何よりであった。ところで、磯五がそうなってみると、お前も自ままじゃの」
「――」
「自ままじゃの」
「はい」
「――」
「旦那様」
「――」
「なぜそこまでおっしゃって、そのままお黙りになっておしまいになるのでございます。わたくしは、何をそんな、お気にさわるようなことをいたしましたろう?
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