んたというものを手塩にかけたのじゃからなあ。もうこっちのものじゃ。よろこびなされ」
それでも、お高が、喜んでいいのか悪いのか、ぽかんとあっけにとられた形でいると、一空さまは一人でのみ込んで、
「父御《ててご》の相良寛十郎殿のことも、やっと眼星がつきましたぞ。そうではないかと思っておったとおりであった。ま、ゆるゆる話そう、これから深川か」
街の手品師
一
神田鍛冶町二丁目、不動新道の和泉屋総本家の大旦那|与兵衛《よへえ》は、店の奥の間に、大番頭の伊之吉はじめ各分店のおも立った者をあつめて評議をひらいていた。
午後の八つ半だ。ぼんやりした日光が、与兵衛の横顔を浮き上がらせて見せている。
この与兵衛は、和泉屋がまだ柘植家のものだったころから、店にいたのだが、当時は、丁稚と手代のあいだの、走り使いの小僧だったので、おゆうと相良寛十郎とのいきさつ、その後の仔細などすこしも知らないのだ。おそろしく眼先がきいて、それでいて太っ腹な男なので、儕輩《せいはい》を抜いて、いつのまにか柘植の家から離れるようになった和泉屋に采配をふるう身分になってきたのだ。四十をよほど越した分別盛りだ。
実際、近来の和泉屋がふとるばかりなのは、この与兵衛がふとらせてきたのだといっていい。
与兵衛はきょうはいらいらしている。二十人ばかり寄り合っている者たちを、にらむように見すえながら、伊之吉に話しかけた。
「柘植の娘のほうが、いよいよ眼鼻がついたらしい。どこまでが柘植の和泉屋で、どこからがその後の和泉屋か、そこらが分明せんことには、いざとなると、当方も話が進めにくいでな。どうも困ったことになった」
伊之吉は腕をくんで、黙って与兵衛を見ている。与兵衛が、つづけた。
「いま蔵やら荷置き場を、人をつけて見せてまわっていますが、そのうちここへも見えるでしょう」
「そういたしますと、もとの和泉屋の分だけは、その娘さんのほうへ返しますことに、もう決まったのでございましょうか」
「はい。きまりました。木場の甚さんが一応いろいろと疑って調べてみたのだが、確かに柘植のおゆうさんの娘御に相違ないというのだ。大変なことになりました。一時にとほうもない女分限者ができてしまった」与兵衛はにっこりして、
「お前は会ったことがあるのかね、そのお高という娘に」
「いいえ。何でも柘植の親類《つながり》とかで、一空様という坊さまが、一度その用でみえられただけでございます」
「が、まあ柘植の金だけは、木場の親方のほうに積んであるのだから、いつ誰が出て来ても渡せることは、渡せるわけで、そのへんのことはいいのだが――」
「ほんとに固くしていられたので、柘植の者も大喜びでございましょう」
寄り合いの者たちはざわめいて、あちこちでこのお高のうわさをしているらしかった。そこへお高が、はいって来た。お高は、深川の木場の甚と、ほか二、三の人たちに取りまかれて、上気したような顔をみせていた。多勢の視線に困って、どこへすわっていいのかまごついているようすだった。
やがて、木場の甚と伊之吉があいだに立って、お高と与兵衛との話になったのだが、お高が柘植の当主として和泉屋の根を押えていることは既定の事実なので、与兵衛も何もいうことはないのだった。集まっている者たちに何もいうことのないのは、もちろんだった。
「さぞいろいろと苦労なすったことでございましょうが、これであなたも芽が吹き、おっかさんもあの世で安心しておいでなさることでございましょう」与兵衛は、こんなことをいうよりほかなかった。「このごろは日和《ひより》つづきで、雑司ヶ谷のほうにおいでとか聞きましたが、あちらはまた、江戸とは違って、もっとも、江戸からほんの一足ではございますが、それでも、万事に田舎々々してのんびりしていることでございましょう」
二
はい、と、いいえ、だけで受け答えして、さっきからうつむいていたお高が、急に顔を上げたのだ。
「こちらのお店とわたくしとは、これからどういうことになるのでございましょうか」
「どういうことと申しますと?」与兵衛が、木場の甚を見ながらお高にきき返して、「柘植のお家《うち》と和泉屋との関係《かかりあい》でございますか」
「はい。それから、早く申せば、わたくしの株、こちらのお店での役どころでございますけれど――」
「それはその――」
和泉屋与兵衛が、笑いにまぎらせてことばじりを濁そうとすると、木場の甚がそばから引き取って、代わりにこたえた。
「それはお高さん、おゆうさんのもっていたお金だけ取って身をひくか、それとも、そのまま和泉屋の商売《あきない》につぎ込んでおいて、お前さんも大本《おおもと》の商法に口を入れるか、それはお前さんのこころもち一つなのですよ」
柘植の分の金だけふところに納めて和泉屋と関係を切るか、あるいは今までどおり投資しておいて、総支配の方針に関与するか、お高はどっちを取ることもできるので、お高はどういう返答をするであろうかと、集まっている一同がお高の口もとに視線を集めていると、お高は、白く光るような微笑をうかべていい出した。
「それでは、こちら様の商法にわたくしも口をきかせていただきますとして、さしずめ、総本家の皆さまにお願いがありますでございます」
お高が和泉屋経営の首脳部に割り込んでくるということは、お高を、あきないのことなどわからない普通《なみ》の女であると思っているだけに、集まっている和泉屋の者一同にとっては、かなり迷惑なことでもあり、また業腹《ごうはち》にも感じられた。大旦那の与兵衛などは、明らかにいやな顔をした。
「ははあ、和泉屋のやり口に、何かお気づきの点がおありなので――?」
猪口才《ちょこざい》なといわんばかりの口調だ。
お高は、平気だ。いいたいとおりにいうので、こういうことには、お高は強いのだ。
「はい。出店をひとつしめていただきたいのでございます」
「なに、出店を一つしめろと――?」
「さようでございます。小石川の金剛寺門前町にこのあいだできました和泉屋《こちら》の出店でございます。あれをとりいそぎ手を引いていただきたいのでございます」
皆が立ちさわいで、がやがやしているうちに、お高の声は、ちょっと甲だかに聞こえた。
「昔から小さな店がつづいてきているところへ、こんどこちらの万屋ができたのでございますから、地元の商人《あきんど》は上がったりでございますよ。そのために、ご存じのような騒動もございましたし、それからも、あの町の小売りあきんどで店をしめましたり、夜逃げをしましたりする人が多うございます。
可哀そうでございますよ。可哀そうでございますから、あの金剛寺門前町のお店だけは、人助けにしめてやってくださいましよ」
座が一時にしずかになって、眼という眼が与兵衛に向けられた。が、与兵衛は、長いこと答えなかった。そして、やっと答えたときには、それは、集まっている一同をはじめ、お高自身も半ば以上期待していたとおりの文句であった。そういうことはできないというのだった。商法は商法であって、慈悲やなさけではないというのだ。お高は、それ以上何もいわなかった。
木場の甚とつれ立って深川要橋の家《うち》へ帰ってくると、一空様からの使いが、お高と木場の甚を待ち受けていた。使いの小僧は、一空さまの手紙を持って来ていた。うけ取って、巻き紙を吹き流しにして黙読していた甚が、手紙のうえから、その鋭い眼をお高へ走らせて、
「おどろきなすっちゃいけませんぜ」かわったことをしらせる人の、ゆっくりした口調で、「一空さまからいってきているのです。父御《ててご》の相良寛十郎さんがめっかったというのですよ。やはり、生きていなすった。ここの古石場で死んだ、あの相良寛十郎てえ仁《ひと》は、あれあ、おとっつぁんじゃあなかった――」
三
「わたくしのおとっつぁん――」お高は、金魚のようにあえいで見えた。「わたくしのおとっつぁんの相良寛十郎は、親分さんが始末をしてくだすって、立派に死んでおりますでございます」
「さ、それがです。なるほど、お前さんが父御《ててご》と思いこんで仕えてきた相良さんは死んでいる。が、一空さまのいうのは、おゆうさんの良人の相良さん、お前さんのほんとの父親の相良さんですぜ。証人に出て来た、お前さんの乳母てえ人の話でも、別人なことはわかっているのです。
何でも、ここに書いてあるところじゃあ、おゆうさんが死んだ後、相良さんは大阪でお前さんを養女にやったというのです。そのもらった人が、相良寛十郎になりすまして、実の娘としてお前さんを育てたということですよ」
一空さまが相良寛十郎を発見したのは、あの龍造寺主計の金で洗耳房に建て増しした子供の遊び場であった。
というのは、ときどきここへ子供の好きそうな芸人などを呼んで余興を催すのだが、きのうも、いま両国《りょうごく》に小屋がけしている手品の太夫《たゆう》を招いて学童たちのまえでやってもらったところが、それが、一空さまにもはっきり見覚えのある、おゆうの良人の相良寛十郎だったのだ。日本|一太郎《いちたろう》という芸名で田舎まわりをしている老手品師が、お高の父相良寛十郎のなれの果てであった。
無情を感じたというのだろう。そうでなくても、寛十郎には、性来、放浪癖といったようなものが強かった。おゆうの死後まもなく、まだ赤ん坊であったお高を、旅で会った、どこの何者とも知れない男の手に預けたまま、乞食《こじき》同様の山河の旅にひとり発足したのだった。
そして泊まり合わせた旅の手品師と同行して、いつのまにか手品を習い覚え、同じ旅の手品師としてわずかに糊口《ここう》と草鞋《わらじ》の代《しろ》を得ながら、旅に旅を重ねてこんにちにいたったのだという。いまは両国の小屋にかかって、日本一太郎は、いっぱし太夫のひとりだった。
お高のほうから、その日本一太郎の相良寛十郎をたずねたのだ。両国に近い、駒留橋《こまどめばし》から左へ切れた藤代町《ふじしろちょう》の安宿の二階だ。寒いほどの河風が吹きぬけて、茶渋で煮しめたような障子紙のやぶれをはためかせていた。
日本一太郎は、端麗な顔をした弱よわしい老人だ。舞台とは別人のような、むずかしい顔をして、きちんとすわっていた。壁に、よごれきった派手な小袖と肩衣《かたぎぬ》が掛けてあった。手品の道具でもはいっているらしい、小さな古行李が一つ、部屋の隅にころがっていた。そのほかには、何もなかった。真ん中に、置き物のように日本一太郎が控えていた。
乳呑児《ちのみご》で人手に渡して以来二十何年も会わない娘のお高が来たのに、迎えに立とうともしなかった。といって、格別うるさがっているようすもなく、来たものだから会おうという顔だ。
はいって来たお高は、この日本一太郎を見ると、なつかしいはずなのが、ちっともなつかしくなかった。ただおかしかった。彼女にとって、日本一太郎はやっぱり日本一太郎だった。父の相良寛十郎ではなかった。父の相良寛十郎は、あの古石場で死んだ、静かな、学者肌の、陰気な、気の抜けたような、蒼白い――彼女が父と信じてきた相良寛十郎だった。
それでいいのだ。そのほかに父はないのだ。いらないのだ。たとえほんとの父でも、この相良寛十郎は、もう今は日本一太郎以外の何ものでもない――。
手品師の父、父というよりも、なくなった母の良人だ。お高は、珍妙な生物を見るような眼で老人を見た。
「おすわんなさい」
日本一太郎は笛みたいな声を出すのだ。
四
鋭い視線がお高をなでた。
「ははあ、高音さんかえ。おゆうにそっくりだな。わしにはあまり似ておらん」
お高は不思議な怒りを感じて、黙って、にらむように日本一太郎を見かえしていた。
それからいろいろと話になったのだが、お高が、じぶんが受けついだ柘植の財産のことを切り出して、父の分もあるのだし、それと、そのほかからもいくらでもとってもらいたいというと、父の日本一太郎は、金銭のことなど、もう実際何の興味
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