はそれとして、おゆうさんが死なれると同時に、柘植の者の姿が消えて、この和泉屋が、いつからともなく他人の手へ渡ったというだけのことならば、こんにちそのお高どのという、柘植家の立派な当主が現われた以上、この商売はやはり柘植の者として、お高どのの手へ帰すべきであると思われるが、いかがなものであろう。
円頂の身が、かような俗事に口を入るるは異なものじゃが、わしも柘植家の一人であり、おゆうさんとは、兄弟同然に親しくした間柄じゃから、柘植の家のために、またお高どののために、ここのところをはっきり聞きたいと思うのじゃが――」
伊之吉の返答は、いっそう意外なものであった。
それは、和泉屋は、この十年間ほどに躍進的に発展して、もとおゆうのもっていた和泉屋よりも、倍にも盛んなものになっている。したがって、いまおゆうの娘が現われたところで、現在の和泉屋全体がその手に返るということはないけれど、以前の和泉屋だけの株と、それから上がるもうけだけは、誰が何といおうと、当然そのお高という女のものでなければならない。実際また、いまこの和泉屋の総元締めをしている人が、珍しく堅い男で、柘植の裔《あと》が妙なぐあいに消えうせた形になっているものの、いつかは誰か名乗り出て和泉屋へ手をかけてくるであろうと、それを見越して、それだけの額は、かりに柘植の世話役というようなものを立てて、その者へすっかりまかせてあるというのだ。
律儀な、筋の通った話である。
伊之吉は、語をつないで、
「良人の相良寛十郎さまも、おゆう様の財産からいくらかわけてもらったという評判でございました。
ほかの、おゆう様が初代の宗庵先生から受け継いだ柘植家のものは、そっくりその娘のお高さまへ遺《のこ》されているわけなので――このへんのことは、その、どなたか柘植の方がお出になるまで、当店《こちら》と話し合いで柘植様の世話役に立っていてくださる人におききになれは、すっかりおわかりになることと存じます。そのお方は、ふか川で名の売れた木場《きば》の甚《じん》とおっしゃる顔役でございます」
木場の甚というのは、お高の話にも出た、古石場の家で相良寛十郎が死んだときに、そのあと始末を引き受けて、いっさいがっさいやってくれたという人であった。この、お高が父と思いこんでいる、古石場で死んだ相良寛十郎なる人物が、ほんとのおゆうの良人の相良寛十郎であったかどうか――そこらのところも、その木場の甚にただせばわかるかもしれない。
とにかく、大変な金がお高を探して待っていて、それがいま、お高の手へころげ込もうとしている。金に興味のない一空さまだが、そう思うと、お高のために勇躍したこころになった。厚く伊之吉に礼を述べて、その不動新道の店を出た。
三
要橋《かなめばし》ぎわの吉永町《よしながちょう》に大きな家を構えて住んでいる木場の甚は、七十あまりの老人だが、矍鑠《かくしゃく》として、みがき抜いた長|火鉢《ひばち》のまえで、銀の伸べ煙管《きせる》でたばこをのんでいた。見慣れない坊さまの訪客に、ちょっと驚いたようだったが、柘植の家のことで来たと聞くと、あわてて一空さまを上座にすえて、会話《はなし》にかかった。
一空さまは、前置きとして、和泉屋の伊之吉に話したことをもう一度くり返したのち、自分がそのおゆうの娘のお高を発見したというと、木場の甚は、にやりと笑って、いった。
「いままで何人となく、柘植のおゆうさんの娘をみつけたといって人が来ましたが、みんな贋《にせ》ものでございましたよ」
そして、およしなさいましといわんばかりに、疑い深そうに一空さまを見た。一空さまは、むっとする感情を忘れている人なので、平気でつづけた。
一空さまが、その娘というのは、もとここの古石場に住んでいて、死んだとき、すべてお前さまの厄介になった、相良寛十郎の娘で高音というのだから、お前さまがほんとに以前からおゆうさんの娘を探していたのならば、とうに気がついて、預かっている柘植の財産を渡しているはずだというと、木場の甚は、しばらく考えていたが、やっと思い出して、
「ああ、そういえば、そういうこともございましたよ。
わたしは、宗庵先生とは御別懇に願い、また、おゆうさまからも財産の締めくくりを頼まれていたので、おゆうさまが京阪《かみがた》のほうでなくなってからは、和泉屋とも相談をして、柘植の財産をそっくり預かっておゆうさんの娘御てえ女《ひと》が出て来るのを待ってきましたが、するてえと、この深川の古石場で、男やもめの御家人が病死をして、あとには、若い娘がひとり残って困っていると聞き込みました。
その方の名が相良寛十郎てえのですから、てっきり、おゆうさんの死後姿をくらましている良人の相良寛十郎さんに相違ねえ。ことに娘をひとりつれているという以上、もうそれに決まったと勢いこんで、わたしは自分で出かけて行って、その相良寛十郎てえ人の死顔をあらためたのです。
すると、名が同じなだけで、似ても似つかねえ別人でした。父がちがう以上、その娘という女も、おゆうさんの娘であるわけはねえから、わたしは、ちょっと娘にくやみを述べただけで、あとのことはすっかり乾児《こぶん》どもにまかせて、そのまま帰《けえ》ったのです。
ああ、あの娘のこってすかい。あの娘のことなら覚えていますよ。なるほど、おやじが相良寛十郎という人だったから、柘植のおゆう様の娘御と思いなすったのもむりはねえが、あれは、縁もゆかりもねえ、全くの他人でございます。わっしどもの探している相良寛十郎さまなら、おゆう様のところでもよく会って、私もお顔を識っているのです。見間違うわけはねえのです。
娘さんは、親娘《おやこ》三人づれで上方の旅へ出かけるとき、ほんの赤児《あかご》でごぜえましたから、いま成人していらっしゃれば、顔を見てもわかるわけはねえのですが、なに、あの古石場にいなすった娘さんなら、大違いですよ。父御《ててご》さんがおゆうさまの良人と同じ名だっただけで、別人なのですよ。わっしどもが世話に立っている柘植の家とは、何のかかわりもねえのですよ」
これで、お高が父として死に水まで取った相良寛十郎が、ほんとのおゆうの良人の相良寛十郎でないことだけは、一空さまの思ったとおり、ますます事実に相違なかったが、この木場の甚は、そのために、そうして、永年《ながねん》さがしてきたほんもののお高に会ってことばまでかわしながら、頭から別人と思いこんで、そのまま放《はな》してやって、いまだに、預かっている財産を渡すために、お高の現われるのを待っているのだ。
世の中というものはこうして、ちょっとのことで、こうもくいちがうものであろうかと、一空さまは、実に不思議な相《すがた》を見せられた気がした。
四
そのとき、木場の甚が、お高の姓が柘植であることを知りさえすれば、何の問題もなく、おゆうの財産はそっくりとうにお高の手へ移っていたのだ。一空さまが、あらためてそのことをいうと、木場の甚は、急に真剣になって膝を進めた。それから一空さまが、お高がおゆうの娘に相違ないことをいろいろな方面から証明すると、木場の甚もだんだん乗り気になってきて、
「わたしはこの年齢《とし》になるまで、ただ柘植家の財産を守って、それをおゆう様のたった一人の娘てえ女《ひと》に引き渡してえばかりに、こうして行方をたずねて、生きてきたようなものでごぜえます」
一空さまは、このごまかしものの多い世の中に、木場の甚の正直さを尊いものに思って、あらためて老人を見た。木場の甚は、いっていた。
「お話によると、私も見たことのある、あの古石場にいなすった娘さんが、わっしがこの年月捜してきたおゆう様の一粒種らしいが、もしそうなら、その娘さんこそは、日本一の果報者でございます」
「まあ、一度会うてみなされ。おゆうさんを知っていなさるなら、疑うどころの話ではない。おゆうさんに生き写しというてもよいから――さっき、にせ物が、柘植の娘じゃと名乗って、だいぶあちこちから出て来たというようなおことばであったが――」
「ああ。あっしが柘植の財産を預かって、引き継ぎ人を探していると聞いて、あちこちからさまざまのことをいい立てて、おゆう様の娘になりすましたやつが出てまいりました。なに、あっしはこの眼で、立ちどころに見破ってきたのです」
「柘植の財産というのは、大きなもののように、和泉屋の番頭も申しておったようだが――」
「和泉屋は、そのなかのほんの一つでございます。ほかにも地所家作をはじめ、いろいろございますですよ。それはそれは、大変な財産でございます。そこで何にも知らずにいて、これだけのものをごっそり手に入れる娘さんは、いくらもともと母から譲られた自分のものとはいえ、たしかに日本一の果報者に相違ねえと、あっしは申すので」
なるほど、それに相違ないのだった。一空さまは、小石川の金剛寺坂に、若松屋の雇い人になっているお高の現在を思い出して、いったいどういうことばでこの吉報を伝えたものであろうかと、老《お》い胸がわくわくするのを覚えた。
ただ、相良寛十郎のことが、どう考えても腑に落ちないのが、二人は気になってならないのだ。
おゆうの良人としての相良寛十郎は、一空さまも木場の甚も識っているので、人相|風貌《ふうぼう》などを話し合ってみると、完全に一致するのである。こうなると、お高の父として死んでいった相良寛十郎は、お高の話で一空さまが考えたとおり、また木場の甚が現に眼で見たように、同名を名乗っていた別人であったということが確定されるのだ。
何者が何のために換え玉になっていたのであろう。ほんとの相良寛十郎は、いったいどこへ行ったのであろうか。彼にも、おゆうの財産の中からわけられるべきものが、木場の甚の手もとに待っているのに、あれほど金ずきの男が、どうしてそれを受け取りに姿を現わさないのであろうか。これには何かふかい秘密がなければならない。
一空さまと木場の甚は、顔を見合わせて、とにかく、木場の甚がお高に会ってみることに、はなしが決まった。
お高は、雑司ヶ谷へ行ったきり、まだ帰って来ていないのだ。国平だけがぼんやり帰って来て、お高さまはどこへ行ったか、じぶんが庄之助さんのところで酔いつぶれて眠《ね》ているあいだにいなくなっていたといったので、若松屋惣七をはじめ、屋敷はさわぎになっていた。
一空さまは、それは何とかしてお高の手へ届くであろうと、何しろ、大急ぎのことなので、ただ簡単にいきさつをしたためて、即日飛脚に持たせて九老僧の庄之助さんの家へまで走らせてみた。お高に、すぐ帰って来て、ふか川の木場の甚に会うようにというのだ。
この書状《てがみ》を、磯五がひらいたのだ。
五
飛脚は、はじめ庄之助さんの家へ行くと、そこで、お高が急病になって、地主のおせい様の寮へ引き取られていると聞いたので、すぐその足で、裏手の田んぼごしに樹立ちに囲まれて見える、その雑賀屋の寮というのへ駈けつけた。
この、飛脚が駈けつけて来るところをみつけたのが門口に立っていた磯屋五兵衛であった。
磯五は、ひとりで門ぎわに立って、考えていたのだ。考えながら、門と玄関のあいだをいったり来たりしていたのだ。夕方近かった。お高は、奥の八畳の間に床を敷いて寝かされて、おせい様が看病をしていた。
磯五はあれこれと思案すればするほど、いらいらしてたまらないのだ。何とかして早くおせい様から引き離して、江戸へ帰すようにするか、さもなければ――と、ここまで突きつめてくると、彼は、ただ、ぴくっと影のようなものにおびえるだけで、そこから先は、どうにも思案が進まないのだ。
そこへ飛脚が、一空さまからお高へあてた書面を持って来たので、磯五は、じぶんがお高のところへ持って行くといって、受け取った。そして、飛脚には、いくらかの銭《ぜに》を握らせて、これで、どこかそこらで一ぱいやって休んで行くようにと追い帰した。
磯五は、その手紙の両面を兎《と》見こう見しながら、内玄関からはい
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