でもどうかすると肉体的に惹《ひ》かれる磯五であったが、そうやって愚にもつかないことをいい立てている女性的な彼には、多分の反撥《はんぱつ》と軽蔑《けいべつ》を感ずるのだ。
お高はいまもそれを感じて、さっきの一時の動揺からすっかりさめていた。そして、磯五がそれに気がつかなくてよかったと思った。磯五は、まだ同じことをいっていた。
「おしんはいま、おれんとこへお針頭に住み込んでいるのだ」
「そうですか。それは結構でございますねえ」
磯五はそれから、若松屋惣七のことをきいたり、おせい様のことを話したりしながら、お高といっしょに道路《みち》のほうへ歩き出した。
「やはりおせい様からお金をしぼって、うまく立ちまわっておいでなのでしょうねえ」
お高が、いった。磯五は、ちょっとむっと[#「むっと」に傍点]したふうだったが、すぐ白《しら》じらと笑い消した。
「そうよ。だが、ただ奪っているわけではねえのだ。ちゃんとお返しがしてあるのだ」
「お返しとはどういうお返しなんでしょう。いつからそんな律儀《りちぎ》なお前様になったのでしょうねえ」
「なに、昔からだ」
それでお高に、磯五のいうお返しの意味がわかった。お高は、金が眼当てで後家さんをよろこばせている磯五によりも、そんなことを、かつてはいっしょにいたじぶんにしゃあしゃあとしていえる彼の恥知らず加減にあらためておどろきを大きくした。が、ざっくばらんにいえば、それは真実《ほんと》のことなので、お高は、ぞくっと寒けのようなものを感じながら、無言でいた。路《みち》へ出ると、磯五は、さっさとお高を離れかけた。
「おせい様に話して、おめえのいるところへ迎えにやらせよう。九老僧の庄之助てえのはおせい様の小作だから、そこに休んでいるがいいのだ」
そこにいるとはいえないし、おせい様に会いたくないので、お高がおせい様に、知らせてくれるな、自分はいますぐ江戸へ帰るのだからと、頼むようにいっていると、磯五は、それを聞かずに、どんどん雑賀屋の寮のほうへ消えてしまっていた。
五
お高は、おせい様に見つかってはたまらないと思ったので、庄之助さんの家へ帰り次第、もう国平も起きたことであろうから、すぐ小石川へ発《た》とうとがむしゃらに道をいそいでいた。道はそれでいいのだったが、近みちをして来てもかなりあったところを、今度は本街道をゆくので、思いのほか遠かった。気がせいて、お高は、小走りになっていた。無意識のうちに、走りつづけていた。
そこは、小川を離れて、両側は立ち木もなく陽の照りつけるところであった。塵埃《ほこり》をのせた土が、白く光って、はるか向こうまで伸びていた。お高は、九老僧をさして、ほとんど夢中で駈けていたが、あまり駈けたので息が切れて、それが悪かったに相違ない。突然気もちが薄れて行って、何か暗いもやもやしたものが、踊るように眼前におりてきたと思った。
そう思ったとき、彼女は、まるで戸板か何ぞのように思い切りよく道路《みち》の真ん中に倒れて、そのまま起き上がらなかった。
長い道には、しばらく人影がなかった。やがて、向こうを突っ切っている小径《こみち》から、二人の人かげが出て来た。それが、路上に横たわっているお高のすがたを見かけると、いそぎ足に近づいて来た。人影は、おせい様と磯五であった。
彼らは、お高を捜しに、ここまで出て来たところであった。磯五が、思いがけなくお高に会ったことを話すと、おせい様は、どうしてもお高を見つけて寮へ連れ帰ってもてなすのだといって、きかなかった。おせい様は、磯五の従妹《いとこ》となっているお高に、厚意を寄せているに相違なかった。磯五は、それには及ばぬといい張ったのだが、おせい様はそれを身内の者に対する磯五の遠慮と解釈して、いっそうお高を発見して招じ入れねばと、じぶんで見に来ることになったので、ちょっと会うぐらいなら、双方《そうほう》ともよけいな話にならないであろうと、磯五もいっしょに捜しに出て来たのだった。
それにしても、従妹と信じ切っていて、そのためこんなによくしてやろうとしているお高が、男の妻であると知れたなら、おせい様の怒りと悲しみはどんなであろうと、磯五は思った。それは決して、お駒ちゃんが妹でないことがばれたときぐらいではすまないのだ。またいいかげんなことをいってなだめすかすのに大骨を折らなければならないのだ。
おせい様とお高を会わせたくはないのだが、自分がお高を見かけたなぞとついいってしまったのだから、しかたがなかった。自分のいるところでなら、会わせても大したことはあるまいと思ったし、それに、あまりおせい様が熱心にいうので、二人で、まだお高がいるであろう方面へ、捜しに出たところだった。
おせい様と磯五が、お高のうえに屈みこんでみるとお高は死んだように白くぐったりとなっているので、おせい様は、あわてた声を出した。
「これはいけませんよ。くたびれているところへ陽に当たって、気が遠くなったのでございましょうが、ほんとに大変ですねえ。早くうちへかついで行って、お医者さまに来ていただきましょうよ」
「なに、そんなにしなくても、ちょっと頭でも冷やせばすぐよくなるのです」
磯五は、尻端折《しりばしょ》りをして、ふところから手ぬぐいを出しながら、小川のほうへ草を分けようとした。その手ぬぐいに水を含ませて来ようというのだ。おせい様がいつになくすこし強い口調で呼びとめた。
「そんなことで直るものですか。この方はあなたのお従妹さんではありませんか。うちへおつれして介抱するのですよ」
そして、弱よわしいおせい様が、顔を真っ赤にして力んで、お高のからだを抱き起こそうとしているので、磯五も黙って見てはいられなかった。手を出さなければならなかった。
「いいのですよ、おせい様。わたしがかかえて行きますから。ほんとにおせい様は――」
磯五はそういいかけて、濡れた着物のようになっているお高を、小腋《こわき》にさらえこんでから、あとをつづけた。
「親切なおせい様だ」
両足を引きずってずり[#「ずり」に傍点]落ちてゆくお高を揺すり上げながら、磯五は、雑賀屋の寮のほうへ歩いて行った。おせい様が手を貸して、お高の腋の下を持ち上げていた。
これでお高は、この雑司ヶ谷のおせい様の寮に当分世話になることであろうと磯五は思ったが、それは彼にとって、この上もなく迷惑なことであった。磯五は、この二人の女がいっしょにいるところを見るのが、不愉快であった。じぶんの利益《ため》にならないことが、両方の口から両方の耳へ交換されるに相違ないと思った。これは何とかしなくてはならないと、忙しく思案しながら、数寄《すき》を凝らした雑賀屋の門内へ、お高を運び入れていた。
ひとつ、どうしても必要なことがあった。それは、お高がそこにいるあいだ、じぶんも予定を変更して寮に残っていなければならない――磯五は、そう思った。磯五は、その、死人のようになっているお高が、ほんとに死人であってくれればいいと思った。これは、磯五にも、はじめてきた考えであった。
彼は、その考えがあたまに上ると、びっくりとして蒼い顔になった。どこからか、生ぐさい血のにおいが漂ってくるような気がして、おせい様を見て、むりににっこりした。
金雀枝《えにしだ》
一
一空さまは、鳥獣のような、自然に即した生活をしていた。それは、およそ贅沢から遠いものだった。壁とたたみと天井のほか何一つない洗耳房なのだ。金剛寺境内の樹木が、高塀のようにそれを囲んでる。
一空さまは、若松屋のお高が雑司ヶ谷の鬼子母神へお詣りに行った翌朝、房の縁に座を組んで、日光に顔を向けていた。いつでも、どこででも、独居していても人中でも、随意に坐禅《ざぜん》の三昧《さんまい》に沈入するのが、一空さまなのだ。
からりと晴れた日だ。土が光って、陽に夏のにおいがしてる。一空さまは眼をあげて、膝もとに置いてあった手紙を拾い上げた。一空さまの眉《まゆ》が寄るのは、お高に会って、それから柘植の一家と、ことに、彼女の母のおゆうのことの出たのを、いまだに奇縁に思っているのだ。この柘植一族の神秘を解くためには、古い書き物をあさったり、あちこち歩いて人に会ったりしなければならない。
一空さまは、金剛寺へ出入りする棟梁《とうりょう》に、和泉屋の本店はどこにあるのか調べてくれと頼んでおいたのが、けさ、その棟梁のもとから若い衆が返事の手紙を持って来て、神田鍛冶町《かんだかじちょう》二丁目の裏に当たる不動新道《ふどうしんみち》の和泉屋が総本家だと知れたので、これからそこへ出かけて行こうとしているところだ。
出かけて行って、どう切り出したらいいか。一空さまは、それを考えていた。が、それはそのときのことにしようと決心して、はだしに高下駄を突っかけて金剛寺の楼門《さんもん》を出た。微風が、お衣の袖にはらんで、一空さまは、爽々《そうそう》と歩いて行った。一空さまが、通新石町《とおりしんこくちょう》から馬鞍横町《ばくらよこちょう》へ折れて、小柳町《こやなぎちょう》、鍋町《なべちょう》東横丁《ひがしよこちょう》と過ぎて不動新道へはいると、和泉屋の総本店はすぐ眼についた。
左側の大きな老舗《しにせ》だ。やはり日用の雑貨をひさぐ店なのだ。
一空さまは土間に立って、立ち働いている番頭手代を見まわした。そのうちのひとりに、ちょっと話したい用があるというと、それは伊之吉《いのきち》という大番頭であった。伊之吉は一空さまをじろじろ見たのち、急に愛想《あいそう》よく招じ上げて、店の裏の小座敷へ案内して行った。そこは、畳のじめじめする、うす暗い部屋だ。半間の床の間に、投げ入れた金雀枝《えにしだ》がさしてあった。
一空さまが、柘植の家がもとこの和泉屋の持ち主で、宗庵の死後、娘のおゆうが采配《さいはい》をふるっていたはずなのが、それもなくなったのち、どうして柘植の家から離れるようになったのか、そこの関係はいまどうなっているのかと伊之吉にきくと、伊之吉は少なからず驚いたようすであったが、それでも、こころよく、知っている限りのことを話してくれた。
おゆうの娘のお高というものが生きていて、貧しくしているので、お高のものであるべきおゆうの財産はいまどこへどう行っているのか、それを審《しら》べるための、これもその一つであるということも、もちろん一空さまは、伊之吉にうち明けたのだ。一空さまも柘植姓であること、じぶんとおゆうとのつながり、それらのことも、一空さまは、あますところなく伊之吉に告げた。
すると、伊之吉が答えた。
それは簡単なはなしだった。
二
だいぶ昔のことで、伊之吉は人のうわさに聞いたに過ぎないのだけれど、おゆうは、良人の相良寛十郎と、ふたりのあいだの、生まれてまもない娘をつれて、上方のほうへ行っていて、そこで死んだというのだ。おゆうはなかなかのしっかり者であったが、寛十郎は、金をつかう以外に能のない、やくざな男であったらしいというのだ。
それは、一空さまの識《し》っている御家人の寛十郎に相違ないのだが、おゆうが、幼いお高といっしょに京阪《かみがた》へ行っていて、むこうで死んだというのが、お高の話と違うのであった。お高は、幼児《こども》のことで、覚えているはずはないが、母は江戸でなくなって、それから、前後旅には出たものの、とにかく父の相良寛十郎といっしょに深川古石場の家に住んでいたといっていた。
なおよくきいてみると、伊之吉がいうには、おゆうが関西の土になってから、寛十郎も娘も完全に行方不明になって、それ以来、父と娘《こ》はどこにどうしているか、見た者も聞いたものもないので和泉屋は自然柘植の家を離れて、べつの経営に移ったまま、二十年もたってきたというのだ。
「いや、まことに不思議な話じゃ」一空さまが、口をひらいた。
「わしが、おゆうさんの娘の高音という、いまはお高といっておるが、そのお高どのから聞いたところとは、かなり相違する点があります。が、しかし、それ
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