空さまが、冗談だといって笑い出すであろう、そうしたら、いっしょに笑いましょうと思って、一空さまの笑い出すのを待った。が、いつまで待っても一空さまが笑い出さないので、お高は、ひとりで笑い出した。
「何のことでございますか、わたくしには、わかりませんでございますよ。十七軒のお店が、そっくりわたしのものでしたら、わたしは、江戸で名代の金持ちのはずでございますねえ」
一空さまは、にこりともしないのだ。
「そうじゃ、あんたは、江戸で名代の金もちなのだが、じぶんでそれを知らんようだから、わしは、しらせに来たのじゃよ」
「さようでございますか」お高は、どこまでも相手になろうとはしなかった。
「それはどうも、御親切にありがとうございます」
「わしのいうことを、信じなさい。いくらわしが酔狂だからというて、藪《やぶ》から棒に、かような戯談を持ちこんで参るわけがないではないか。和泉屋は、そっくりおゆうさんのもちものであった。おゆうさんが蔭《かげ》におって、それぞれの者に、十幾つの和泉屋をやらせておったのだ。何から何まで、おゆうさんの金で商売をして、もうけはそっくりおゆうさんのふところへはいる。豪儀なものであった」
お高は、眼をぱちくりして黙りこんだ。
一空さまの話では、父の相良寛十郎も、その、おゆうの和泉屋経営に一部の仕事を受け持ったというのだ。ところが、お高の知っている限りでは、父は商法などからはおよそ遠い人物で、そんなことがあったとは、どうしても考えられなかった。
無言でいると、なおも一空さまがいうには、和泉屋は、おゆうの財産のほんの一部分で、ほかにも、家作や地所などふんだんに持っていたというのだ。こうなると、まことにおゆうは江戸有数の富豪だったといえる。お高は、そのおゆうの娘なのだ。お高は、夢の中で夢をみているような、奇異な気もちになっていった。
六
お高の母の父は、柘植宗庵《つげそうあん》といって、町医であった。それは、お高も知っているのだが、同時に、お高の知っているのは、それだけであった。
ところが、一空さまの語るところによると、この宗庵先生はただの町医ではなく、長崎で蘭人《らんじん》に接して医学を習得しながら、大いに密輸入をやったらしい。しまいには、医者よりもこのほうが本業になって、大いにもうけた。
こうして、あぶない橋を渡って大利を獲たばかりでなく、宗庵は、性来理財のみちに長じていた。江戸で、和泉屋をはじめ、その他種々の商売の黒幕となっていずれも利に利を重ね、隠然一つの黄金王国を形づくるにいたった。が、表面へ出ることを好まず、どこまでも蔭にあって金をうごかすだけだったから、江戸の商法の裏面に通じないものにとっては、宗庵は、やはり一介の町医宗庵でしかなかった。
つまり彼は、いまのことばでいう二重生活を送っていたのだ。巨富を擁しながら、眼立たぬよう眼立たぬようにと、まずしい医者にふさわしい暮らしをした。彼の住まいや日常など、じつに質素なものだった。ある人にとっては、巷《ちまた》の医師柘植宗庵であり、ある人にとっては、いながらにして各種の商売を支配し、ひそかに驚くべき利を上げてゆく、狷介《けんかい》なる江戸の富豪柘植宗庵であった。
一空さまは、この柘植宗庵の又従弟《またいとこ》であった。宗庵は早く妻を失って、娘のおゆうとふたりでさびしく暮らしていた。宗庵が暗中飛躍をして財を積んだのは、おゆうのためだけであった。そして、いつじぶんが死んでも困らないように、おゆうに商法のみちに通じさせておいたのだった。
おゆうは、お高の母であることからも容易に想像できるように、美しい女であった。このおゆうが、若い日の一空さまにとって、彼の生涯にただひとつの恋の相手だったのだ。二人は、ひそかにいいかわしただけで、宗庵の許しを得ないうちに、宗庵が死んでしまった。
おゆうは、宗庵の築いた隠れたる黄金郷の主《あるじ》となったのだが、まもなく彼女は、お高の父である相良寛十郎に会ってさっそくいっしょになることになった。一空さまに対するおゆうのこころもちは、要するに少女的な感傷に過ぎなかったのだ。おゆうは、相良寛十郎に、はじめて男を見た気になったのだ。すぐ寛十郎を家へ入れて、医者の娘と御家人との結婚生活がはじめられた。
おゆうの財産は、あくまで秘密になっていたので、寛十郎も、金が眼当てで入りこんだものとは思われない。が、すぐ妻の莫大な資財に気のついた彼は、金が眼当てでおゆうに取り入ったのと同じ結果になった。一空さまにいわせれば、はじめから面白くない人物だったのだ。それが、未経験なおゆうの眼には、神様か仏さまのようにうつったというのだ。
お高は、じぶんが親しく見送った父のことを悪くいわれて、いい気もちはしなかったが、一空さまのこころもちも察して、黙っていた。黙っていると、一空さまはつづけて、寛十郎は完全におゆうを失望させたと話し出した。
「それはそれは、湯水のように金をつかったものじゃったよ。わしは、そのときはもう出家しておったが、そばで見てもはらはらさせられた。もっとも、いかに贅沢《ぜいたく》をしたところで、一代や二代でつぶれる財産ではないのだが、宗庵に教育されたおゆうさんは、寛十郎のようにしたい三昧《ざんまい》に金をついやすことは大きらいであった。おゆうさんは、よくわしをたずねて来て、こぼしたものであったよ」
二十年前の記憶がすっかり一空さまをとらえているのだ。お高は、知らなかった父母の生活を、眼のまえにくりひろげられて、知らなかったほうがよかったような気がした。両手で顔をおおって、それでも、全身を耳にして、一空さまの言をとらえようとしていた。
「一度などは、大金というべき額の金をさらって、姿をくらましたことがあった」
「あの、父が、でございますか」
お高は、金を持って逃げたと聞いて、すぐ磯五のことを思い出した。むかし母があったと同じ眼に、じぶんもあったのだ。母娘《おやこ》が、同じ人生をくり返しているのではなかろうか。そういうことがあるものであろうか。お高は、運命の恐怖といったようなものを感じて、身内がしいん[#「しいん」に傍点]となった。
「さよう」一空さまが、答えていた。「金を持ち逃げして、京阪《かみがた》のほうへまいってな、ほかの女といっしょになっておった。それから、何でも一旗あげるとか申して、江戸へ帰って来たのじゃが――いや、よそう。あんたの前で亡《な》き父御《ててご》をののしるようになる。面白うない。わしも、気が進まん」
一空さまは、思い出したように哄笑《こうしょう》して、お高を見た。
九老僧
一
そのころから、一空さまは諸国の禅林をまわって、相良寛十郎はもとより、おゆうとも音信不通であったというのだ。おゆうの死んだことは聞いたが、それ以後いっそう、寛十郎に対する一空さまの関心は消えて、ふたりのあいだにお高の高音というものが残されたことまで、今まで知らなかったというのだ。
が、あの莫大なおゆうの財産は、一空さまもときどき思い出して、どうなったであろうと思っていた。しかし、和泉屋がその一部であるという事実は、忘れるともなく忘れていたのだ。それがいま、金剛寺門前町に起こったあの現実の事件として、また、こうしておゆうの娘であるお高を発見したことによって、一空さまは、霞《かすみ》の向こうの遠い昔の自分を、振り返らされているのである。
黒い沈黙だ。やがて、一空さまがいった。
「あんたに伝わっておらんとすると、柘植宗庵のつくった大身代は、いったいどこへ行ったのじゃ」
「おおかたつかい果たしたのでございましょうよ」お高は、うつろな声だ。「誰かがねえ」
「そんなことはあり得ぬ。あれだけの身代がつぶれたとすれば、人のうわさにも上ったはずじゃ。ついぞ聞かぬ。また二人や三人がいかに馬鹿金をつこうたところで、そんなことでびく[#「びく」に傍点]ともする身代ではないのだ」
「さようでございますかねえ。そういたしますと、ほんとに妙なことでございますねえ」
「あんたの知らん兄弟でもあって、そっちに遺っておるのではないかな」
「でも、男の兄弟があるなどということは、聞いたこともありませんでございます」
「しかし、何かの理由で、あんたがものごころつかんうちからほかで育てたと考えれば、あんたの知らんのもむりはないということになる」
「それはそうでございますけれど、でも、父は一度も、そういうことを申したこともございませんし、態度《そぶり》に見せたこともございません」
急に、一空さまの眼が、光ってきたように見えた。彼は、膝《ひざ》を乗り出させるのだ。
「父御《ててご》の相良寛十郎という仁《ひと》は、見たところ、どういう人であったかな」
お高が、思いだし思いだし、父相良寛十郎のおもかげを述べはじめた。
いったいに小づくりで、せいも低く、やせていた。貧相な猫背《ねこぜ》だった。額部《ひたい》が抜け上がって、ほそい眼がしじゅう笑っていた。晩年はそれに、大きな眼鏡《めがね》をかけていた。鼻に特徴があって、横にねじれたような鼻であった。お高が、ここまで話したとき、一空さまが、手をあげておさえた。
「どうも不思議じゃ。それでわかった」一空さまは、下くちびるをかみながら、いうのだ。
「何とも奇妙なことである。大いに曰《いわ》くがなくてはならぬ。あんたのいう相良寛十郎は、わたしの知っとる相良寛十郎ではない。人は、いかに年をとっても、そうまで変わるはずはないのだ。確かに別人じゃ。
わしの識っとる寛十郎は、世にも美しい男であった。女子《おなご》にも珍しいほど、眼鼻だちの整うた美男であった。すんなりと背が高く、色白で、澄んだ大きな眼をしておった。たましいをもたぬ相良寛十郎は、うつくしいけものであったよ。たましいを持たぬだけに、いや、おゆうどのはじめ、女という女を籠絡《ろうらく》したものであったよ。わははは、かの寛十郎、おなごにかけては、特別の力を備えた達人でありました」
反射的に、またもやお高は、磯五を思い出してぞっ[#「ぞっ」に傍点]としている――その相良寛十郎とあの磯屋五兵衛、同じような男が、今と昔にわたって、母とじぶんを苦しめている。母娘《おやこ》は、ひとつの運命に引きずられているのであろうか。母と相良寛十郎と、じぶんと磯五と――お高は、磯五が、相良寛十郎の転身であり、この自分は母のおゆうであるような気がして、しようがなかった。
一空さまの声をぼんやり聞いていた。
「うむ。この話は、どこぞに大きな間違いがひそんでおるに相違ない。とにかく、同じ相良寛十郎でも、さっきからわしが話しておるのは、あんたが父と呼んでおる人物ではない。それだけはわかったが、ともにおゆうさんの良人で、同名異人とも思われず、はて――」
一空さまは、そこに解答があらわれているかのように、まじまじとお高の顔を見て、黙りこんだ。お高もそういう一空さまの顔から何かを得ようとするように、視線いっぱいに相手をみつめているのだ。
二
若松屋惣七と歌子と紙魚亭主人と大久保の奥様は、片瀬の龍口寺へお詣りに行く行くといって、まだ同勢がそろわないでそのままになっていた。お高は、からだの調子が、そういう二、三日がけの旅を許さないので、行かないことにした。
しかし、若葉の風が袷《あわせ》の裾《すそ》をなぶるころになると、お高も、紺いろの空の下を植物のにおいに包まれて歩いてみたいこともあった。一度、神田橋外の護持院《ごじいん》ヶ|原《はら》のかこいが取れたので、佐吉をつれて、摘《つ》みくさに行ったことがあった。その摘み草が大へん面白かったので、お高は、また一日どこかへ遊びに行きたいと思っていた。若松屋の仕事がひまで、お高もからだを持ちあつかっていた。冑《かぶと》人形、菖蒲《しょうぶ》刀、幟《のぼり》の市《いち》が立って、お高は、それも見に行きたいと思ったが、二十七日は、雑司《ぞうし》ヶ|谷《や》の鬼子母神《きしもじん》[#ルビの「きしもじん」
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