磯屋は、あたいがやっていて、五兵衛さんは後見ということに表向きなっているんだよ。ね、さ、もうわかったろう、お父つぁん」
四
「うんにゃ、わからねえ」
「何がわからないのさ」
「何だってそんなややっこしい細工をしておせい様を抱き込まなけあならねえか、そいつが合点がゆかねえ」
「そんなこと、あたいは知らないよ」
「なに、知らねえことがあるものか。同じ穴の狸《たぬき》じゃあねえか。おせい様は金を持っていなさるうえに、あんまり締まりのいいほうでもねえからな。読めたぜ。あの磯屋さんは、だいぶおせい様から吸い取っているにちげえねえ、ああいう男は、おれがこうと一眼でにらんだら、はずれはねえつもりだ」
「そうかねえ。あたいにゃかかわりのないことなもんで、つい気がつかなかったし、考えてみたこともなかったよ」
「おめえはどういうもうけがあるんだ」
「もうけ? いやだよ。もうけなんかありゃあしないよ。頼まれたから、妹でございって顔をしてやっているだけさ」
「うそをつけ。おめえが、もうけのねえことをするわけはねえ。だが、もうけがあってもなくても、これあおめえ、今のうちに手を引いたほうが利口だろうぜ。お奉行所へ聞こえても、面白くあるめえと思うのだ。詐《かた》りだからな」
「そうかねえ。かたりかね。あたいは何も、人様の迷惑になるようなことをしてるつもりじゃないんだけれど――」
「磯屋さんの妹という面をかぶっているのがよくねえや。おせい様にばれたら、どうなると思う? よし。おれからあの磯屋さんによく話し合ってみるとしよう」
「あれ、お父つぁん。そんなことしちゃいけないよ、何もかもぶちこわしじゃないか。何かってと出しゃばる人だねえ。年寄りらしくもない。お前の知ったこっちゃあないじゃないか。あたいが困るばっかりだよ。大事なことなんだからねえ。商売に」
「こりゃあ面白え。おせい様の金を巻き上げるのが磯屋さんの商売かい」
ひとりごとのようにいってから、久助は、つづけた。
「悪いことはいわねえ。いまのうちによしな。娘にそんなことをさせて、おれは黙って見ているわけにゆかねえのだ。磯屋さんは、おめえというものをだしに使って、いっしょになる気もねえのに、おせい様を釣っているに相違ねえ。よしな、よしな。そんなことに加勢をするのはよしな。父《ちゃん》が金を出してやるから、どっかに部屋でも借りるがいい。おれのからだがうごく限り、おめえひとりぐれえ食わせられねえこたあねえ。
こんなことを続けていちゃあろくなことはねえぞ。そのうちにいい働き口でもみつけるまで、まあ、ぶらぶらしているがいいや。下女奉公が一ばんだ。な、いい家を探すのだ。きれいな家に、うまい物を食って、のんきにからだを動かしていせえすりゃあ、つとまってゆくところがあるめえものでもねえ。行儀見習いてえことも、おなごは忘れてならねえのだから――」
お駒ちゃんは、あたまをうしろへほうり投げるようなしぐさをして、はっきりした声だ。
「お父つぁん、いまよすわけにはゆかないんだよ。心配しないでおくれよ。大丈夫だからさ」
「何をいやあがる」久助は、高びしゃに「おめえよりおれのほうが、ものの分別があろうてえもんだ」
「それあそうだけれど、あたしだって、自分のことはじぶんでやってゆけるつもりだよ。これでも、今までさんざん苦労をしたんだからねえ。やっとここまできたんだから、こころもちはありがたいけれど、よけいな口出しをしないでおくれよ。さっきから何度もいうとおり、べつに悪いことをしてるわけじゃあないんだから――」
「そんならなぜ、今夜おせい様んところでおれの顔を見たとき、あんなに、気を失いそうにおどろいたのだ」
「思いがけなかったからさ」
「江戸は広いようでも、今夜のように、いつどこで誰に会わねえもんでもねえ。おめえは、あの磯屋の旦那と、ほかの家《うち》へもああしていっしょに行くのかい」
「いいえ、おせい様んとこほか、どこへも行きはしないよ。だから、お前さえ知らん顔していれば、それですむことじゃあないか。あたしもあんまりお前に会わないようにするしねえ――」
「会わねえということができるものか。おせい様んとこにいる限り、おれは、いやでも応でも、磯屋の妹になりすましてるおめえを、見ねえわけにあいかねえ。それがおれにあつれえのだ。磯屋さんは、近えうちに、おせい様と夫婦になるというこった。今夜なんかも、まるで御主人様のように、いろんなことをいっていなすったよ。
その磯屋さんの妹さんてえのだから、おめえも、おっつけおれの御主筋に当たってくる。てえっ、使う身と、使われる身と、親と娘と、それがそう、何もかもめちゃめちゃになっちゃあ、世の中のきまりてえものはどこにあるのだ。人間はみんな、身分を守ってゆけあ、間違えはねえ。な、お駒、父《ちゃん》のいうことをきいて、足を洗いな、足を」
「あたいが磯屋さんの妹になっているのを、見たり聞いたりするのが、そんなに気になるんだったら」お駒ちゃんは、だんだん持ち前の強情な口調になっていた。
「お父つぁんこそ、どこかほかへ住み替えたらいいじゃないか。何も、おせい様んところばかりが、板の口でもなかろうと思うんだけれどねえ」
「何てえことをいうやつだ。いんや、おれはよさねえ。どんなことがあっても、おれは、おせい様んところを動かねえつもりだ。邪魔で、お気の毒さまみたようだが、おれは、おめえのすることに、眼を光らせていてえのだから――」
五
「そうかい。そんなら、まあ、すきなようにするがいいさ」
「おう。すきなようにするとも」
「あたいはもう帰るよ。磯屋さんも、もう帰って、きっと待っているんだろうから――」
「なに、磯屋は今夜、おせい様んところに泊まり込みだ」
「あれ! ほんとかい」
「ほんともうそもあるものか」と、いいかけた久助は、お駒ちゃんの顔いろが変わったのに気がついて、
「どうした、お駒。磯屋がどうしようと、おせい様がどうしようと、おめえがそうやっきになることはなかろうじゃねえか」
「あい何もやっきになってやしないがね――」
いいすてて、お駒ちゃんは、道路《みち》の一方へすたすた歩き出した。それは、日本橋のほうへ帰る方向だったので、久助は安心したが、しかし、お駒ちゃんが血相を変えているのが心配であった。呼びながら、二、三歩追いかけた。
「これ、お駒。この夜ふけに、女ひとりで歩いてけえれるわけのものじゃあねえ。おれがいま、夜駕籠をめっけて寄越すから――」
歯を食いしばっているらしいお駒ちゃんの声が、先のやみから流れてきた。
「いいよ。構わないでおくれよ。それより、お父つぁんは、あの五兵衛に気をつけていておくれよ。ほんとに、何をするか、よく気をつけていておくれよ。後生だからあいつに眼を光らせて――」
傷ついたまま追われている鹿《しか》のように、お駒ちゃんは、よろよろとして、しかし、それにしては驚くべき速さで、もう黒い影が、倒れるようにむこうの角をまがって見えなくなってしまった。
久助は、長いこと往来《みち》に立ちつくしていた。そうやって、お駒ちゃんの残したことばを、あたまの中でかんでいるようなようすだった。やがて、そのほんとの味がだんだんわかってきたらしく、久助は、恐怖をまじえてつぶやいた。
「そうだ。惚れてやがる。お駒のやつ、あの磯五てえ生っ白《ちれ》え野郎に、首ったけなんだな。ちっ、道理で――だが、待てよ、こりゃあ相手がよくねえ。うむ、気をつけるとも。気をつけるとも。おれあ磯五に、しっかりこの眼《まなこ》を光らせているからな――」
さくらが蕾を持つころまで、お高は、同じ金剛寺坂の家にいながら、毎夕かけ違ってばかりいて、若松屋惣七としみじみ話をかわすこともなく過ぎたのだった。
呼ばれて、奥の茶室へ行ってみると、このごろは他行がちの若松屋惣七が、この午後はめずらしく家《うち》にいて、いつものように、帳面のうずたかい経机をまえに、端然とすわっていた。お高がはいって行くと、顔をななめに、かすんでいる眼を上げた。
仕事のことは、相変わらずお高が書状を披見して、返書を書いて片づけてきていた。いまはこれという取り引きもなく、わりに静かな日がつづいていた。
若松屋惣七が、自分と磯五とお高の問題をそのままにしておいて、いつまでたっても積極的な態度に出ようとしないのが、お高には、不幸といえば不幸であった。しかし、このあいまいな状態は、かえって若松屋惣七に対するお高の感情を培っているのだ。お高は、何をしていても、あたまが若松屋惣七のことでいっぱいなのを知っている。ゆっくり話し合わないけれど、いや、ゆっくり話し合わないからこそ、若松屋惣七は、お高の中で生きているのだ。
お高は、この情感を食べ物にして生活していた。女は、こういう情感で生きているとき、いちばん美しく見えるのだ。が、お高は一日のうちに、やせて見えたりふとって見えたり、さびしそうに見えたり、楽しそうに見えたりする女なのだ。
はいって来たお高は、そのさびしそうに見えるお高だ。若松屋惣七には、はっきりは見えないが、衣ずれのぐあいや何か、風のように立ってくる感じでわかるのだ。
「お高か。どうした。元気がないぞ」
若松屋惣七は、武士の前身を出して、しっかり肘を張って、きちんとそろえた膝を向けた。
「そうでございますか。じぶんで何ともございませんが――」
「忙しいか」
「いいえ。ひまでございます」
「気散じの旅にでも出ると、いいかもしれぬの」
「はい」
「居は気をうっすと申して、人間はときおり場所をかえぬと、気が欝《うっ》するものじゃ」
「さようでございますか」
若松屋惣七は、近いうちに、武士時代の友人がひとりみえるかもしれぬというようなことをいった。若松屋惣七は、思い出したようにきいた。
「亭主はどうした。近ごろ会うたか」
六
押しつけた声だ。若松屋惣七は、感情といっしょに声を押しつけるのだ。お高は、かなしそうな眼をした。
「亭主などと、そんな意地のわるいことおっしゃらないでくださいまし。何もかもご存じでいらっしゃるくせに――」
「ふん。また泣き出しそうな声だな。よく泣くぞ」
「会いませんでございます。一度たずねてまいりましたけれど、佐吉さんにお頼みして、追い帰してもらいましてございます」
「ここへ来たのか。ずうずうしいやつじゃな」
「はい。ずうずうしいやつでございます」
「何しに来たのか」
「何しに来ましたのか存じませんけれど、いつぞや神田のほうへ御用たしにまいりましたとき、もと十番の馬場やしきにおりましたころ、お針を頼んでおりましたおしんさんという小母《おば》さんにぱったり道で会ったことがございます。むこうから呼びとめて、ちょっと立ち話をいたしましたが、わたくしは、何も申しませんでしたけれど、きっとそのおしんさんが磯五に会って、わたくしに会ったことを話したのでございましょう。
それで、あの磯五という人は、いろいろ暗いところのある人でございますから、何かまた、識《し》った人に会ったとき、わたくしが、いって困るようなことをいいませんように、口止めに参ったのであろうと思いますでございます」
「うるさいな」
「ほんとに、うるさくございます」
「が、まあ、会わんでよかった。今後も、あわぬがよいぞ」
「はい。掛川のほうから、何か飛脚でも参りましてございますか」
「おお参った。万事着々進んでおるようである。具足屋も、どうやら盛り返したらしい。すべて、かの龍造寺どののおかげじゃ」
「ほんとに――」
「いずれ、お前をつれて、掛川へ行ってみるつもりでおる」
「あの、掛川へ――」
一時に蒼くなったお高だ。お高はそこに行っている龍造寺主計のことを、思い出したのだ。お高が驚いたらしいので、龍造寺主計のお高に対する気もちを知らない若松屋惣七は、いっそうおどろいた。
「いやか」
「いいえ。旦那様とごいっしょでさえございましたら、高はどこへなりと、決していやだなどとは申しませんでございますが――」
「晴れて、旅でもし
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