うとなすっていらっしゃる、お金のことでございます」
お高は、ここから話を持って行こうと思った。おせい様は、ちょっとはあわてたふうを見せた。
「若松屋さんは、その金が、どうしてもできないというのでございますか」
「いいえ、あなた様が、そのお金を若松屋さまから取り立てて、あの、わたくしの親類の磯屋のほうへまわそうとしていらっしゃる、そのことでございます」
おせい様は、少女のように赧い顔をして、うつむいた。お高は、また、気の毒な気がこみ上げてきた。が、思い切って、つづけた。
「あなた様は、五兵衛さんといっしょにおなりになるにつけて、そのお金を、磯屋の商売のほうへお足しになろうとしていらっしゃるのでございましょう」
おせい様は、いよいよ赧くなった顔を上げた。
「そうでございますよ。五兵衛さまというお方は、いいお方でございますから、わたしは、何もかも五兵衛さまにあげてしまおうと思っているのでございますよ」
「でも、五兵衛さんは、あなた様といっしょになるわけにはゆかないのでございます。あなた様とのみ申さずどなたともいっしょになるわけにはゆかないのでございます。五兵衛さんは、あなた様を、たぶらかしておいででございます。あの人には、女房となっている女《ひと》が、あるのでございます」
若松屋惣七を救いたいこころと、それから、おせい様と磯五の関係への嫉妬が、お高を一生懸命にしているのだ。で、こう、はっきりいって、おせい様を見ると、どんなにおどろくことだろうと思ったのが、案外、おせい様は、急にまたにこにこ[#「にこにこ」に傍点]しだした。
「はい、五兵衛さんにお内儀さんがありましたことは、よく存じておりますでございますよ。あの人は、わたしには、何でも打ちあけて、お話しくださるのでございますよ。一度、女房をお持ちになりましたが、その女房という人は、もう先に、なくなったのでございます。五兵衛さまのことなら、わたくしのほうがよく存じております。ほんとにあの方は、いまはひとり身で、お気の毒な方でございますよねえ」
これも、磯五が、まことしやかにおせい様に話して聞かした、からくりの一つに相違ないのだ。それが、あまりに巧みなのと、おせい様が、それを信じ切っているのとで、お高はあいた口がふさがらない気がした。
三
「うそでございます。何かのおまちがいでございます。磯屋の女房は、死んではおりませんでございます。立派に、生きているのでございます」
「いいえ。あなた様こそ、何かのお間違いでございましょう。五兵衛さまは、わたくしには、何一つ隠さずに、すっかりお話しくださるのでございます。
そのお内儀さんは、五兵衛さまを捨てて、ほかの男と逃げて、草加《そうか》の在でなくなったのでございますよ。あんな立派な、気だてのおやさしい五兵衛さまをすてて、そんなことをするなどと、女冥利につきた方でございます。おおかた、義理も人情もわきまえない、蛇《じゃ》のようなお女《ひと》だったのでございましょう、ばちがあたったのでございますよ」
お高は泣き出したいほど、くやしくなってきた。なみだが、お高の眼を、異様に光らせてきた。
「いいえ。五兵衛さんのおかみさんは、そんな恐ろしい人ではございません。五兵衛さんこそ、そのおかみさんにひどくして――」
おせい様は、にこにこしていった。
「知らない方は、みんなそのお内儀さんの肩を持つと、五兵衛さまがおっしゃってでございますけれど、あなた様も、よく内輪の事情をお聞きになりましたら、きっと、わたくしと同じに、そのおかみさんという女が憎らしくなって、五兵衛さまがお可哀そうだと、お考えになるでございましょうよ。
その、なくなったおかみさんという人にも、五兵衛さまは、ああいうお人でございますから、何もかも知りながら、それはそれはよくしましてねえ、ほんとに、あのお方は、一つとして非のうちどころのない、見上げたお方でございますよ。めずらしいお方でございますよ。あなた様も、あんなお従兄《いとこ》さんをお持ちで、何かと力になってくださることでしょうから、おしあわせでございますよ。
あのお方は、女のこころもちが、こまかいところまでおわかりになりましてねえ、あんなにたよりになる方はございませんよ。わたしには、何でも話してくださいますが、その、わがまま女《もの》のお内儀さんという人にも、長いあいだ、したい三昧《ざんまい》をさせて、ずいぶん眼にあまることまで、見て見ぬふりをなすったのでございますよ。あなた様は、ちっともご存じないようでございますけれど、苦労をなすった方でございますよ」
お高は、夢物語を聞いているような気がするのだ。ただ一つ、夢でないことは、じぶんはこれから、どうしても、このおせい様の眼に、あの磯五の面をはいで、見せてやらなければならないという、自分の決心だけだ。
「わたくしは、あなた様から、どんな憎しみを受けましても、かまいませんでございます。ほんとのことを、申し上げるのでございます。あなた様が、五兵衛さんにだまされておいでなさるのを、黙って見ているわけには参りません。五兵衛さんの女房という女は、決して死んではおりません。生きているのでございます」
「仮に、生きていなさるとしましても五兵衛さまから立派に去り状が渡って、死んだも同然に、きれいに縁が切れているのでございましょうよ」
「いいえ。その縁切り状も、おかみさんのほうはほしがっているのでございますが、どうあっても、五兵衛さんがお出しにならないのでございます。でございますから、まだ立派に、夫婦なのでございます。そればかりか、五兵衛さんは、このごろしきりに、そのおかみさんに帰って来てくれと、頼みこんでいるのでございます」
おせい様は、ちょっと不思議そうな顔をしたが、またすぐ、もとの笑顔にかえって、
「それは、まことに奇妙なおはなしでございますねえ。あなた様は、そのお内儀さんというお方を、ご存じでいらっしゃいますか」
「はい。お親しく願っておりますでございます」
「ただいま、どちらにおいででございますか」
「はい。ここにおりますでございます」
四
いってしまって、お高は、はっとした。これはいけないと思ったのだ。いまおせい様に、自分の身分を知られてしまっては、若松屋の金のほうのことが、かえって面白くないことになるかもしれないのだ。ここは、あくまでも、ほかに磯五の女房というものがあって、それが生きていることにして、じぶんはやっぱり、磯五の従妹ということにしておいたほうがいい。
これは悪いことをいったと思って、お高が、内心悔やんでいると、都合のいいことには、おせい様は、お高のいった意味をはき違えたのだ。
「こことおっしゃるのは、江戸のことでございますか」
「さようでございますよ。江戸にいらっしゃるのでございますよ」
「江戸にねえ。近ごろは、いつお会いでございますか」
「その、磯屋のおかみさんにでございますか。毎日お眼にかかっておりますでございますよ」
「それでも、五兵衛さまは、三年前に逃げて、まもなく亡《な》くなったと、確かにおっしゃってでございます」
「それが、あの人のうそなのでございます。別居して、江戸にいるのでございます」
「五兵衛さまは、決してうそをおっしゃるような方ではございません。あなたこそ、何かわけがおありになって、そうしてわたしを苦しめようとしていらっしゃるのでございましょう」
おせい様は、はじめて、すこし激しいことばを用いた。眼のふちが蒼《あお》くなっていた。お高も、くちびるを白くしていた。
「わたくしは、ただ、申し上げなければならないと存じますことを、申し上げるだけでございます。若松屋さまからお金を取りかえして、五兵衛さんへおやりになろうとしていらっしゃるのを、見ていられないからでございます。わたくしも、五兵衛さんが、それほどの悪人であろうとは――」
「悪人というおことばは、いくらお従妹さんでも、ちといい過ぎではございませんでしょうか」
「でも、ちゃんとおかみさんがありますのに、お内儀に迎えようなどと、あなた様をいつわっていますのは、悪人ではございますまいか」
「もしあなた様のおっしゃることがほんとうでございましたら、五兵衛さまは、その、もとの女房の方が、まだ生きていなすって、この江戸にいらっしゃることを、すこしもご存じなく、死んだものとばかり思いこんでいらっしゃるのでございましょう」
「いいえ。五兵衛さんは、おかみさんが江戸にいることを、よく知っていますのでございます。会っていろいろ話をしまして、さきほども申しましたとおり、一日も早く帰ってきて、もとどおりいっしょに暮らしてくれと、五兵衛さんのほうから、話が出ましたくらいでございます」
「いいえ。それは、うそでございます」
「いいえ。ほんとでございます」
「いいえ。うそでございます。失礼でございますが、わたしは、あなた様より、お飾りの数をよけいくぐっておりますでございます。それだけに、殿方というものの見きわめが、はっきりとつくのでございます。もうこのおはなしは、お打ち切りに願いとうございます」
男というものの判断を誤らないと、おせい様がいうのだ。お高は、笑い出したくなって、自然に口の隅《すみ》が、上へうごいてきた。
自分こそ、その磯五の女房である――こう一こといいさえすれば、何よりの生きた証拠《しょうこ》として、それが、万事を解決するに相違ないのだ。
じっさいお高は、何度となく、思い切ってそのことをいおうかと思ったのだが、女同士のこころもちから、磯屋に寄せているおせい様の純真な愛と信《まこと》が、あまりにいたましくて、口まで出かかっても、いえないでいるのである。が、これをいわない以上、おせい様は、お高のことばを取り上げるふうもないのだ。
たとえおせい様が、これでいささかのうたがいを起こして、直接磯五に事の真偽をたしかめるとしても、磯五として、おべんちゃら一つでおせい様を丸め直すことは、すこしもむつかしいことでないにきまっている。そして、おせい様はいっそう、ちかいうちに磯屋のお内儀に迎えられることと信じこんで、ますます矢のような催促を、若松屋惣七へ向けるであろう。
しかたがない。いってしまおうと、お高は思った。
「じつは、わたくしが――」
やっぱり、いいよどんだ。おせい様は、いつのまにか、もとどおりにこにこ[#「にこにこ」に傍点]していた。おだやかに、お高のことばをくり返して、促した。
「はい。あなた様が――?」
「はい。あの、じつは、わたくしが――」
そこへ、さっき取り次ぎに出た十六、七の小女があらわれた。小女は、縁側の障子のかげに指をついて、いった。
「あの、磯屋五兵衛様がお妹さまをおつれになって、お見えになりましてございます」
五
お高は、反射的に、たちあがっていた。おせい様は、入り口の障子のほうに気をとられていた。お高は、そっとおせい様のうしろへまわって、襖《ふすま》をあけて、つぎの間へすべり込もうとした。小碑《こおんな》のあとについて来た磯五が、部屋へはいってこようとしていた。お高は、つぎの間から、ふすまをしめるときに、磯五をちらと見た。磯五は、てかてか光る顔に笑《え》みをみなぎらして、おせい様に挨拶しようとしていた。
お高は磯五のうしろに、派手な色があるのを見た。それが、磯五の妹という女に相違なかった。その磯五の妹という若い女は障子のかげに隠れるようにして、はいることをためらっていた。が、すぐ、磯五に呼びこまれて、障子の隙《すき》から出て、座敷へはいって来た。しとやかに、おせい様に向かっておじぎをした。磯五が、いった。
「たびたびお話しいたしましたが、今まで、ついかけちがって、おひき合わせもできませんでした。これが磯屋の店の黒幕、妹のお駒《こま》でございます」
そのお駒という女は、なるほど磯五の妹といった格の町家の女ふうに、堅気につくってはいるが、そして、おせい様と初の対面というので、せいぜいしとやかに構えてはいるけれど、お高
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