本人は、奥の茶室にすわったまんまだ。手代《てだい》とも用人《ようにん》とも、さむらいとも町人ともつかない男が、四、五人飼われている。それに、女番頭格のお高と、それだけの一家だ。朝は、水道下の水戸《みと》様の屋根が太陽を吹き上げる。西には、牛込《うしごめ》赤城《あかぎ》明神が見える。そこの森が夕陽《ゆうひ》を飲み込む。それだけの毎日だ。
商売は、多く手紙のやりとりでする。若松屋惣七は、よく眼が見えない。お高が、手紙の代読と代筆をするのだ。帳簿も、お高が整理していた。
三
お高は、この金剛寺坂へ来て、六月ほどになる。誰か商売の手助けと身のまわりの世話をかねるものをとのことで、下谷《したや》の桂庵《けいあん》をとおして雇われてきたのだ。お高は、女にしては珍しく、相当学問もあり、能筆でもあった。何よりも、美しい女である。年齢《とし》は二十四、五だ。このお高が、若松屋へ来たときは、男世帯《おとこじょたい》の殺風景な屋敷に、春がきたようだった。家のなかが、一時にあかるくなった。
おもてといっても、べつに店があるのではない。武家屋敷とおなじ構えで、男たちがごろごろしている。若松
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