まるものか。高音、そこのけ!」
「いいえ、お前さまこそ、人でなし! わたしをあんなひどいめに合わせておきながら、さっき黙って聞いていれば、待っているようにといい残して旅に出たとは何といういいぐさです! あちこちさがしていたなどと、うそをつくにもほどがあります! ――」
「ええっ! うるさい」
 磯五は、お高を振りのけて、また惣七へ迫った。惣七は、平然とお高をかえりみた。
「心配いたすな。間男といえば、間男に相違ないのだ。痛くもない。なぐらせてやるのだ」
「何をへらず口を!」
 磯五の拳が、あられのように惣七の面上に下った。惣七は、磯五の手をよけようともせずに、しっかりすわって、しずかに証文を破っていた。蒼白く笑っていた。
「佐吉、国平、刀を持て!」
 彼は、そう叫びたかったが、何か考えでもあるのか、そう叫ぶかわりに、じっとくちびるをかんで、磯五の拳を受けつづけていた。
「ああ、すまない! それではすみません!――」
 お高が、泣きじゃくって、再び磯五にむしゃぶりついたが、たちまちはねのけられてしまった。
 お高の泣き声と、磯五が若松屋惣七をなぐる音とが、しばらく入りまじって聞こえていた
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