深川の世話役木場の甚の願訴によって、各町の自身番、会所、銭湯、髪結い床のような人眼の多い場所に貼り紙を許した。それは、柘植宗庵の娘おゆうの夫相良寛十郎の行方、またはその後の動静を知っているものがあったら、どんなことでもいいから木場の甚までしらせてくれば、厚く礼をするという文句であった。
 磯五がこの貼り紙を見たのは、若松屋惣七に突っ放されて、逃げるように加宮跡から式部小路へ帰ろうとする途中、連雀町《れんじゃくちょう》の寄合所《よりあいじょ》でなにげなく立ちどまって読んだのであった。そこでは、通行人の眼にとまりやすい、往来に近いところに貼《は》ってあった。磯五は、柘植宗庵というのがお高の祖父で、おゆうが母であることも、父の名が相良寛十郎であったことも、いつかお高に聞いて知っていた。
 磯五は、この貼り紙はいったい何であろう、きっと金のことにきまっている。いつかも雑司ヶ谷にいるお高のところへ一空という坊さまから手紙がきて、お高に、さっそくこの木場の甚に会うようにといって来たことがあるが、これは必ず同じ用向きに相違あるまいと思った。
 磯五は、その足ですぐ深川|要橋《かなめばし》ぎわの吉永
前へ 次へ
全552ページ中422ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング