一つ忘れたというのか」
ふだんから青鬼の面のように蒼《あお》い顔だ。それが、いっそう蒼くなってお高のほうへ向いた。笑っているようにも見える。笑っているように見えるときは、若松屋惣七の激怒しているときだ。
「わたしは、とくに、この手紙を急いでおったのだ。その、いそぎのやつを選びにえらんで、忘れるという法はあるまい。いや、忘れたでは済むまい」
お高は、たたみの上で収縮した。
「はい」
「はい、ではない。はいではわからぬ!」
「はい、あの――」
「ちいっ! はい[#「はい」に傍点]ではわからぬと申すに!」
「――」
「しかも、これ、開封してある」
若松屋惣七は、急に、しずかな口調を取り返した。
「お高、お前、どこか気分でもすぐれぬのではないかな」
すると、お高が、いつになくきっぱりした声をあげたのだ。
「いいえ。ただそのお手紙はわたくしのでございます」
「なに? 何のことだそれは」
「わたくしのでございます」
「この手紙が、か」
「さようでございます。そのお手紙は、わたくしにあてたものでございます」
ほう! ――というように、若松屋惣七の口が、長くなった。長くなったまま、無言がつづ
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