の峰を、不自由な眼をほそめてながめていた。その若松屋惣七の顔はこのごろになくゆったりした表情だった。お高のほうを顧みて、微笑したようであった。お高も、ほほえみ返そうとしたとき、ぎいとお白洲の樫扉《かしど》があいて、大声に呼び込みがはじまった。
白洲には、白い砂が、高い窓の洩れ日に光っていた。つくばい同心が左右にしゃがみこんで、正面の高い座の下には、書役《かきやく》が机をならべてこっちを見ていた。一同が、そこで草履《ぞうり》をぬいでお先へお先へと譲り合っていると、
「早くはいれ」
扉《と》をあけていた同心のひとりがどなった。
砂にすわって待っていると、奉行の忠相《ただすけ》は、伊吹大作《いぶきだいさく》その他をしたがえて、すぐ出て来て座についた。一同が平伏しているとき、忠相は、ひとりちょっと顔を上げた木場の甚と眼を合わせてかすかにうなずいたが、誰も気がつかないのだ。
名や所の読み上げがすむと、忠相の調べは早かった。現代《いま》でいうと、超速度だった。
事件は、おもて向きはお高の入水の一件だったが、忠相は、それを取り上げて、この紛糾のすべてを快刀乱麻的に解決しようとする肚《はら》であることは、すぐにわかった。木場の甚と一空様と忠相と、三人で計らったものらしいことも、容易に察しられるのだ。
忠相は、片頬に笑みを浮かべながら、ひとり言のような調子で、ぱたぱたと片づけて行くのだ。
「龍造寺主計、吟味中ことばを改める。そちは、宿屋の亭主と申すが、宿屋の亭主が、大刀をふるって人の眉間を斬るか、宿屋の亭主か、武士か、どっちかになりきれ。すなわち、庄内藩へ帰参するか掛川の具足屋とやらへ帰るか、どちらに致す? 返答せい」
「それは、掛川へ帰らせていただきとう存じまする」
「うむ。よくよくさむらいがきらいじゃとみえるな。つぎにおせい、そちは、磯屋五兵衛の遺産いっさいを受けとったであろうな。何もかかりあいじゃ。磯五の命日をみてやれ。
さて、駒とやら申すはそちか。そちは、踊り振り事の類をもって身を立て得ると聞き及ぶが、当分、父久助とともに木場の甚方へ掛人《かかりびと》になるがよい。甚、よくめんどうをみて取らせ。
皆の者、よくわかったな。よろしい。一同立ちませい――ああこりゃ、それなる盲人は何者じゃ? なに、若松屋惣七。いや、何者でもよい。眼が不自由では困ろう。誰か寝起きの世話をするものはあるか。うむ、これ、ちょうどよい。その高と申す女子《おなご》じゃ。高は一度死んだものである。よって僧侶の一空に屍《かばね》を引き取らせるが、一空は高を惣七に預けるがよかろう。
高、死んだ気になって、働け。よく惣七の世話をみるのじゃ。惣七はまた、高の身柄を受け取るのではない。高の中に宿っているおのれの世つぎを受け取るのじゃ。高はどうでもよかろうが、腹の子は、そちのものじゃ。致し方がないによって、高も、腹の子のいれものとして納めておけ。高の財産を管理して行くうえにも、そちの才腕と世つぎの子は、大切であろうぞ――立て」
底本:「巷説享保図絵・つづれ烏羽玉」立風書房
1970(昭和45)年7月10日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名から外れる表記も、意味を推し量れると判断したもの(「さかづき」「ひたひ」「加わつて」等)は底本通りとし、訂正も、ママ注記も行いませんでした。
入力:kazuishi
校正:久保あきら
2009年10月29日作成
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