、そのなかの人を包んでなめまわろうとしていた。締めるような熱さが四方から迫ってきた。その中で、雲の板が切り落とすようにおりてきて、舞台を打って大きな音をたてた。
 お駒ちゃんは本能的にとびのいて、楽屋へ逃げ込もうとした。押された見物が、きちがいの群れのように舞台に駈け上がって来ていた。お駒ちゃんは、眼と口を大きくひらいて叫ぼうとしたが、臭い熱い煙がはってきて、声にならなかった。お駒ちゃんは、二つに折れて舞台を走りながら、つぶやいていた。火はもう小屋全体に高くあがっていた。


    投げ入れ文《ぶみ》


      一

「ふんそうか」忠相《ただすけ》が笑うと、切れ長の眼尻《めじり》に、皺が寄るのだ。さざなみのような皺だ。しぼの大きなちりめん皺だ。忠相は、そのちりめん皺を寄せて、庭のほうへ膝を向けた。
「ふん、そうか」
 忠相は、江戸南町奉行大岡越前守忠相だ。外桜田《そとさくらだ》に近い、屋敷である。奥まった書院づくりの一室で、縁に近く、野山の雑草、雑木をそのまま移し植えてあるので、いながらにして深山にある思いがする。忠相の趣味である。
 八刻半《やつはん》の陽ざしは、やっと西へまわりかけて鋭い。青葉の照り返しで、畳が青い。調度も青い。忠相の顔も青い。微風が渡る。青い影が、畳にも、調度にも、忠相の顔にも揺らぐ。わざと手入れをしない雑草と雑木のあいだを、羽虫《はむし》がむれをなして飛んでいるのが、その百千の翼《はね》が白く光って、日光のなかで塵《ちり》が舞っているように見える。忠相は、不思議な現象を発見したように、それを見ているのだ。
 やがて、あくびをした。八葉剣輪違《はちようけんりんちが》いの紋服の着流しに包まれた、小ぶとりの膝を、そのあくびといっしょに、ぽん、とたたいて、
「そうか。死んだか」
といって、じろりと敷居ぎわを見た。そこに、黄びらに、木場と染め抜いた麻の印半纏《しるしばんてん》を重ねて、白髪《しらが》の髷《まげ》をみせて、木場の甚がちょこなんとすわって、おじぎのような、おじぎでないような、首を曲げて考えていた。不意に、そうか、死んだかといわれて、ななめに、ぴょこりとひとつ頭をさげた。
「はい。死にましてございます。奴《やっこ》め、冥加《みょうが》な野郎でございますよ。焼け死にましてございます」
「その、びんざさらの火事でな」
「はい。王子権現境内の手妻使い、日本一太郎と申すものの掛け小屋に失火がございまして――」
「これこれ」忠相が、ちょっと声を高めると、次の間との襖を背に、ぼんやり控えて殿と木甚との会話《やりとり》を聞いていた用人の伊吹大作《いぶきだいさく》が、かしこまって、耳を立てた。忠相は、いや、お前ではないというように、ちらとそっちへ笑顔を向けて、木場の甚へつづけた。
「これ、気をつけてものを申せ。失火とは火を失う。過失、失態などと申して、すなわちあやまちである。その見世物小屋の火事はあやまちであったというのか。証拠は、あるか」
 木場の甚は、にっこりした。
「証拠は、ございません。しかし、つけ火にしちゃあすこし腑に落ちませんので」
「放火ならば、何人《なんぴと》か火を放ったものがあるであろう」
「それは、ございましょう」
「わかり切った話じゃ。何が腑に落ちん」
「はい、つけ火でないといたしますと、あまり都合のいいときに燃え出しましたようで。はい、何のことはないまるで、磯屋五兵衛を焼き殺すために――」
「はて。だから、放火にきまっておる」
「つけ火といたしますれば、下手人《げしゅにん》を出さねばなりませぬ」
「放火したものか。それは、わかっておる」
「はあ?」
「放火したものは、死んでおるぞ」
「は」
「法により、その放火した者の家蔵《いえくら》、家財、あきない品、一切没収じゃ」
「――」
 享保《きょうほう》七年のことで、忠相は、四十六歳になる。四十六歳の忠相は山田奉行として、また普請奉行の一年間、それから江戸南町奉行に任官してこの五年のあいだに、あまりに多くを見、多くを聞いてきている。四十六歳の忠相は、もう一度、あくびをした。あくびの余韻《よいん》を口の中でころがしているうちに、それが、謡曲とも詩吟ともつかないうなり声になって、忠相は、いつまでもそれをつづけているのだ。
 木場の甚は、平伏していた。伊吹大作は、すこしずつ何かがわかりかけてきたように、眼をきらめかせて、横を向いているのだ。

      二

 政朝に鍾馗《しょうき》を設けて、寃枉《えんおう》の訴えをきくという故事は、王代の昔だ。このデモクラテックな制度が復活して、目安箱という、将軍吉宗の命に出るものだが、忠相の建策だ。この前年、享保六年八月一日から、評定所《ひょうじょうしょ》に目安箱を置くことになった。申告受付け箱だ。これを民間
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