は何か感違いをしているのだ。おいらは――」
「もうよしておくれよ。聞きたくもない」
「そっちは聞きたくなくても、こっちはいいてえのだなあ、お駒ちゃん、お前《めえ》はそんな情けないことをいうが、お前のこころはおいらにわかっているし、おいらのこころはお前にわかっているのだ。何もいざこざはねえのだ」
 磯五が、妖《あや》しく光るような、不思議なうす笑いをうかべて、そろりそろりと近づいてくると、お駒ちゃんは、太腿《ふともも》のあたりに何かぴりりと走るものを感じて、泣き出しそうな笑い顔になって立ちすくんでいた。
 ふり解《と》きようのない魅惑がお駒ちゃんをつかんで、磯五とのあいだに持った場面の一つ一つがお駒ちゃんの眼のまえを通り過ぎた。それは、お駒ちゃんが、宝もののように大事にしている記憶であったが、そのために、木更津屋やこの小屋裏で日本一太郎とならんで寝ているときに、お駒ちゃんは夜中に眼が冴えて眠られないで困ることがあった。
 いまその夢の中の磯五が、白く笑って、もとよくしたように、お駒ちゃんの肩に手をまわそうとしたので、お駒ちゃんは溜息をついて自分のほうからすり寄ろうとしたのだが、そのとき、お駒ちゃんの見たもの、感じたものは、ぱちぱちと音をたててはぜ[#「はぜ」に傍点]て、そこら一面に燃えさかる、太い、赤い焔《ほのお》であった。
 その火の中で、お駒ちゃんは、垂木《たるき》でも焼け落ちるような、大きな音であった。お駒ちゃんが、磯五の頬をなぐったのだ。
「あっ! 何をしやあがる」
 それは、お駒ちゃんが、火のような自分の感情の中で、磯五の頬桁《ほおげた》へ手を飛ばしたのだった。
 磯五は、感心したようににやにやして立っていたが、やがて、お駒ちゃんの憎悪に満ちた眼を見ると、はっきり怒りを感じて、つかみかかって来ようとしたが、そのとき、若い者や一座の手品師などががやがやいいながらおもてから筵をはぐって客席へはいって来たようすなので、磯五は、そのまま、すべるように裏の梯子をおりて出て行った。
 日本一太郎が帰って来たとき、お駒ちゃんはまだ、狂気のように大きな声をたて、誰もいない舞台うらにひとりで笑いこけていた。
 王子権現の祭の日本一太郎の手品の小屋は、満員だ。手妻に娘手踊りを加えた、新案の演し物天人娘夢浮橋が当たりを取ったのだ。五色の曇の書き割りで舞台にちょっと天上の景色を見せるという趣向も、受けたのだ。がお駒ちゃんはほんとのことをいうと、あまり感心しなかった。こんなものよりも、その前に二、三度出た、日本一太郎の指先の手品に心から感心していた。
 出幕になって、お駒ちゃんは、羽衣天人のような着つけで舞台に立った。気おくれがしたが、一生懸命に踊った。見物のほうは一面の顔で、その顔を見わけることはできなかった。白いもの、黒いもの、黄色いものが重なり合って、ぼやけているだけだ。
 舞台からすぐ近くのところに、磯五が、お美代とおしんをつれて、左右にすわらせて見物しているのなどは、お駒ちゃんののぼせた眼にははいらなかった。何も見ず、何も感ぜずにただ踊った。からだいっぱいと心いっぱいで踊った。かすかに感嘆の声を聞いたようでもあった。
 日本一太郎の扮《ふん》している三保の漁師が眠っている上を軽く飛んで踊るところへきた。ここには、いろいろとむずかしい所作があるのだ。お駒ちゃんは夢中でそれをつづけていた。舞台のあちこちに蝋燭がついて、それが、お駒ちゃんの袖や裾にあおられて高く低くゆらいだ。その加減で、書き割りの雲がかげったり浮かんだり、走ったり止まったりするように見えた。
 眠っていた漁師が起き上がった。お駒の天女と、日本一太郎の漁師と、ふたりもつれ合って踊りになった。漁師が追いかけると、天女は逃げるように舞った。戦うような、からむような仕ぐさだった。漁師の手が届きそうになると、天女はするりとかいくぐってかわした。そこで雲に作られた大きな板が一枚、ふわりとおりてきて、その蔭《かげ》にお駒ちゃんがつかまって釣り上げられる仕組みだった。それで、お駒ちゃんが消えたように見えるのだった。
 その大事なところへきたので、お駒ちゃんが踊りにまぎらして上を見ると、雲の板が降りかけていた。お駒ちゃんはちょっと身構えをして雲を待った。一瞬間だが、しんとしたなかに見物の息づかいと蝋燭のゆらぎが感じられた。その蝋燭の光がだんだん大きく明るくなるような気がして、お駒ちゃんがふと奇妙なことに思ったとき、見物席に波のような怒号が沸いた。男と女と老人と子供の声のまじった、山くずれのような叫喚《さけび》であった。
 お駒ちゃんははっとして、われにかえったような気がした。ぱちぱちと木のはぜ[#「はぜ」に傍点]る音がお駒ちゃんのまわりにあった。大きな赤い舌が舞台と書き割りと壁の筵と板囲いと
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