あろう。ほんとの相良寛十郎は、いったいどこへ行ったのであろうか。彼にも、おゆうの財産の中からわけられるべきものが、木場の甚の手もとに待っているのに、あれほど金ずきの男が、どうしてそれを受け取りに姿を現わさないのであろうか。これには何かふかい秘密がなければならない。
 一空さまと木場の甚は、顔を見合わせて、とにかく、木場の甚がお高に会ってみることに、はなしが決まった。
 お高は、雑司ヶ谷へ行ったきり、まだ帰って来ていないのだ。国平だけがぼんやり帰って来て、お高さまはどこへ行ったか、じぶんが庄之助さんのところで酔いつぶれて眠《ね》ているあいだにいなくなっていたといったので、若松屋惣七をはじめ、屋敷はさわぎになっていた。
 一空さまは、それは何とかしてお高の手へ届くであろうと、何しろ、大急ぎのことなので、ただ簡単にいきさつをしたためて、即日飛脚に持たせて九老僧の庄之助さんの家へまで走らせてみた。お高に、すぐ帰って来て、ふか川の木場の甚に会うようにというのだ。
 この書状《てがみ》を、磯五がひらいたのだ。

      五

 飛脚は、はじめ庄之助さんの家へ行くと、そこで、お高が急病になって、地主のおせい様の寮へ引き取られていると聞いたので、すぐその足で、裏手の田んぼごしに樹立ちに囲まれて見える、その雑賀屋の寮というのへ駈けつけた。
 この、飛脚が駈けつけて来るところをみつけたのが門口に立っていた磯屋五兵衛であった。
 磯五は、ひとりで門ぎわに立って、考えていたのだ。考えながら、門と玄関のあいだをいったり来たりしていたのだ。夕方近かった。お高は、奥の八畳の間に床を敷いて寝かされて、おせい様が看病をしていた。
 磯五はあれこれと思案すればするほど、いらいらしてたまらないのだ。何とかして早くおせい様から引き離して、江戸へ帰すようにするか、さもなければ――と、ここまで突きつめてくると、彼は、ただ、ぴくっと影のようなものにおびえるだけで、そこから先は、どうにも思案が進まないのだ。
 そこへ飛脚が、一空さまからお高へあてた書面を持って来たので、磯五は、じぶんがお高のところへ持って行くといって、受け取った。そして、飛脚には、いくらかの銭《ぜに》を握らせて、これで、どこかそこらで一ぱいやって休んで行くようにと追い帰した。
 磯五は、その手紙の両面を兎《と》見こう見しながら、内玄関からはいって行こうとしたが、まわりに人のいないのを確かめると、彼はつと玄関わきの植え込みへ身をひそませて、損じないように注意ぶかく封書の封を切って読みはじめた。そこには、数株の金雀枝《えにしだ》がいっぱい花をつけて、紙面と磯五の顔とに黄いろく照りはえていた。
 磯五は、二、三度読み返した。が、何のことかわからなかった。
 ただ、木場の甚というのは誰であろうと思って、急用とあるのは、金のことではあるまいかと、一流の直感で、しきりにそんな気がした。小判は磯五のたましいなので、金のためには、どんなにでも強くなれる磯五なのだ。黄金《こがね》いろの神像のほか、磯五は神も仏も知らないのだ。したがって遠くから金のにおいをかぎつけるのに、異常に発達した神経をもち合わせてもいた。
 磯五はいま、何となくその金のにおいをかいだような気がして、粒のそろった白い歯で紅い下くちびるをかんで真剣な顔つきになった。そして、封書をもとどおりにして、家へ持ってはいって、出会った女中の一人にお高のところへ届けさせた。
 それから、自分が寝起きしている客間の渡り廊下が鍵《かぎ》の手についている部屋へ行って、磯五が仰向けに寝ころがって、いまお高へきた手紙は何のことであろう? お高は、あれにあるとおり、すぐ江戸へ帰るであろうか。天井板をにらんで考えているところへ、おせい様についてこっちへ来ている、お駒ちゃんの父親の板の久助が、盆に茶碗をのせてはいって来た。
「磯屋さま、お出初《でばな》を一つ――」
 磯五は、むっくり起き上がって茶をすすりながら、
「久助どんかい。おめえの奉公ぶりには、おせい様も感心していなすったよ。久助どんは、今じゃあ一番のお気に入りなのだ。まあ、ますますためを思って勤めてもらいてえ」
 久助は、主人でもない磯五にそんなことをいわれて煙たそうに敷居ぎわにうずくまった。もじもじしていたが、やがてきいた。
「お妹さんは、このごろいかがでございますか」
 自分の娘が、磯五の妹ということになっているので、久助は、皮肉な眼をかがやかして、磯五を見た。磯五は、そんなことは知らないし、急に妹などといわれたので、瞬間誰のことであろうと、不思議そうに考えた。が、すぐ、それはお駒ちゃんであったと気がついて、
「おう、そういえば、拝領町屋で、おめえがはじめてうまいものを食わせてくれたときに、お駒も相伴《しょうばん》して
前へ 次へ
全138ページ中98ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング