におひとりで出歩いて、およろしいのですか」
「用があって、参った」
二
「はい。どういう御用でございましょう」
若松屋惣七は、ちょっと切り出しにくそうにした。相手が、あんまり事務的だからだ。若松屋惣七は、まぶしそうな眼を、歌子のほうへ上げた。
「女をひとりつれて参るが、会ってやってくれぬか」
「女の方――ええ、おあいしますとも」が、歌子はすこし不思議そうな顔をした。「でも、どういう方でございます」
「可哀そうな女なのだ。今後いろいろ、相談に乗ってやってもらいたい」
「それはもう、わたくしできますことなら、何でも――どなたでございます」
「うちの女番頭である」
「すると、あの、お高さんとかいう――」
「そうだ」
歌子の額部《ひたい》を、迷惑そうな色が走り過ぎた。彼女は、お高をよく識《し》っているわけでない。いや、よく識らないからこそ、この独身の従兄《いとこ》の家《うち》へ女番頭として住みこんでいるということだけで、お高を、何か色じかけのわる者かなんぞのように、気をまわして考えているところがあるのである。
若松屋惣七にははっきり見えないから、歌子は安心して、いやな顔を隠そうとしなかった。
「あわれな女でな、いつもひとりで、屋敷にくすぶっておる。気散じに話し合う友達をつくってやりたいと思うのだ。龍口寺まいりにも、加えてやりたいと思うが、どうであろう」
「結構でございましょう」
それきり歌子は、ぽつんと黙りこんだ。
「しかし」若松屋惣七が、いっていた。「どこまでも、女の雇い人であってみれば、わしから供を申しつけるというわけには参らぬ。ここはひとつ、お前から出たことにして、どうだ、誘ってみてはくれぬか」
「結構でございましょう」
「では、承知してくれたな」
「なぜそんなにおつれになりたいのでございます」
「保養をさせてやりたいのじゃ」
「まあ、親切な! ほんとに、親切なお主ですねえ」
「妙に思うかもしれんがあの女については、いずれお前にも話すが、いろいろ事情がある」
「そうでございましょうとも。いろいろ御事情がおありでしょうとも。あなたは、あのお高さんがお好きなんでしょう?」
「心のいい女だ。お前にも、決して迷惑をかけるようなことはない。心配せんでもいい」
「それはよくわかっております。そんな心配は致しません。でも、ずいぶんお気に入りのようですねえ」
「ふむ。まあ、気に入っておるな」
「奥様にあそばすお考えですか」
「そうもなるまい。そこが事情じゃ。ただあの心痛の多い女を残してわしひとり面白おかしく旅をする気になれんのだ。このごろは、誰しもちょっと江戸を離れて、田んぼ路《みち》でも歩いてみたくなる季節だからな。わしは、あれに相模《さがみ》の海を見せてやりたい」
「結構でございましょう。では、どういうことにいたしますか」
歌子は、さっぱりした女だ。若松屋惣七のお高に対するざっくばらんな愛を聞かされて、彼女自身ほがらかな気もちになりつつあるのだ。
若松屋惣七のいかめしい顔に、笑いがひろがった。
「都合がよければ、明晩ここへつれてまいる。お前とお高は、きっと仲のいい友達になるであろうと思う。わしが考えると、よく合うところがあるのだ」
「さようですか。それでは、わたくしも楽しみにしております。わたくしのほうは、いつおつれになっても構いませぬ」
「それとなく、龍口寺まいりのことを切り出してくれ。お高は、さびしがっているのだから、すこし厚意をみせてくれれば、すぐなつくことであろう。からだも、あまりよくないようである。何とかして、旅に出したいと思うのだ」
歌子は、もう晴ればれとした顔をしていた。
「承知いたしました。明晩おつれなさいまし」
女中が茶を運んで来て、ふたりは黙って茶を飲んだ。茶を飲みながら、若松屋惣七は、考えた。この歌子と、あの紙魚亭主人の麦田一八郎と、あれほど仲がよかったのが、どうしてこう遠いこころになったのであろう。去るもの日々にうとしというだけのことであろうか。似合いの夫婦である。今度の旅の機会に、何とかまとまればよいが。
歌子も、茶を飲みながら、考えていた。歌子は女らしい女といえなかった。こまかいことはわからないが、それでも、男のこころというものは、何という不思議なものであろうと思った。この頑固な従兄が、今になって一人の女に柔かい心を向けている。歌子は、それがおかしかった。
そのお高に、何かしら事情があるという。事情のある女なんか、よしたがいい。歌子は若松屋惣七のためにそう思った。歌子は、簡単な女なのだ。そう思って、若松屋惣七を見ると、庭におどる日光を感じた若松屋惣七の眼が、ひくひくまばたいていた。
三
朝、帳場になっている奥の茶室へ、お高が仕事のことで来て、すぐ出て行こうとす
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