をこの急場から、救いさえすればいいのだ。それには、どうしたらいいか。若松屋惣七は、まだあのおせい様の手紙を見ないのだから、おせい様が矢のように金の督促をするかげに、磯屋五兵衛が糸を引いていることは知らないのである。
これだけは知らせたくないと思って、お高は、こんなに苦心をしているのだが、ああしておせい様のほうが、だめになった以上、今度は、磯五ひとりに会って、まごころをこめて頼むよりほかはあるまい。まごころは必ず人を打って、人を動かすはずである。磯五とて、人間には相違ないのだから、ことによったら理解をして、おせい様を通して若松屋さまをいじめることを思いとまってくれるかもしれない。いや、きっと思いとまらせてみせる。
とお高が、頼みにならないことを頼みにして、やっと自分を励ましているときに、庭の草を踏んで来る跫音《あしおと》がした。滝蔵だ。
「旦那は、まだお帰りがねえようだが、おそいことですね」
「どちらへおまわりになったのか、わたしにも心あたりがないのですよ」
「それはそうと、いまどこかの守《もり》っ娘《こ》が使いに来ているのです。誰か、男の人に頼まれて、お前様を迎えに来たとのことで、裏門に立って待っているので」
「おや、いやな話でございますねえ。わたしは男の人に呼び出されるような覚えはありませんよ」
「わっしもそう思って、めったなことがねえように断わったのですが、ちょっと帰って、またすぐ同じ口上をいって来るのです。二度も三度も来るのです」
「いやですよ。断わってくださいよ」
「何度断わっても、来てしようがねえのです」
「人聞きが悪いじゃあありませんか。何かわたしに、まともに来られない男の相識《しりあい》でもあるようで――誰でしょう、用があったら、自分で来たらいいじゃないの、ねえ」
「そうですよ。金剛寺さんの実朝様のお墓の前に待っているというのですよ」
金剛寺と聞いて、お高は、ことによると今出て行ったお侍ではないかと、思った。あの変人が、何をまた思いついて、子守《こもり》をなぞ使いに、そんなことをいわせてよこしたのだろう――。
「行ってみようかしら」
「そうですか。守っ娘が待っているのです」
「行ってみようよ」
お高はたち上がった。滝蔵が、心配そうな顔をした。
「あっしが、そっと後をつけて行ってもようがすよ」
「大丈夫ですよ。あそこは、参詣《さんけい》の人も多いから、心配しないでくださいよ」
二
「おや、お前さまは五兵衛さまではございませんか。いやでございますねえ。何ぞわたしに、急な用事でもできたのでございますか」
若松屋惣七方のうら手、小石川上水堀の端《はた》にある金剛寺は、慧日山《けいにちざん》と号し、曹洞派《そうとうは》の名だたる禅林だ。境内《けいだい》に、源実朝《みなもとのさねとも》の墓碑が[#「墓碑が」は底本では「幕碑が」]あった。碑面には、金剛寺殿《こんごうじでん》鎌倉右府将軍《かまくらうふしょうぐん》実朝公《さねともこう》大禅定門《だいぜんじょうもん》と大きく一行に彫ってあった。
その実朝公の碑のまえに、人目を忍ぶように立っていたのは、磯五であった。磯五は、近くに遊んでいた、子守娘に駄賃をやって、こうしてお高を呼び出したのだ。子守は、お高をそこまで案内して、役目をはたして立ち去って行った。
磯五は、何にもいわずに、お高についてくるように眼くばせをして、先に先って[#「先に先って」はママ]あるき出した。碑の裏へまわって、松林のなかへはいって行った。お高はしぶしぶあとを踏んだ。
「何の御用か存じませんが、なぜうちへいらっしゃらずに、あんな娘《こ》を使いによこして呼び出したりなさるのでございますか」
そこは老松と老杉の幹にかこまれた、ちょっとした開きだ。下は、茶色になった去年の雑草だ。むこうに本堂が見えるのだ。
ここに、衣《きぬ》かけの松といって、名木になっている、いっぽんの木がある。下枝が一本、物ほし竿《ざお》のように横一文字に伸びて、地上三尺ばかりのところを、長く突き出ているのである。さながら衣をほすために細工したようであるというところから、いつからともなく衣かけの松の名があるのだが、いま磯五は、この衣かけの松の、横に張り出ている枝に肘《ひじ》をのせて、よりかかった。お高は、枯れ草のあいだにしゃがんだ。
「あのめくら野郎に会いたくねえから、おめえにここまで出て来てもらったのだ」
磯五は、お高にうす笑いを落とした。お高は、自分のほうから、一人とひとりで磯五にぶつかっていこうとさっき決心したことを思い出して、これはいい機会だと思った。
「わたしのほうにも、いいたいことがありますでございます。ざっくばらんにいいますよ。おせい様をだまかすのはよしてくださいまし。あなたがおせい様をだまして、い
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