、どう細かく割ってうごかそうと、若松屋の仕事につぎ込もうと、その金がおなじ利を生むからには、何もいうべき筋はないはずだ。よって、貸した借りたとは申しても、普通《なみ》の借銭とは、おのずから理《ことわり》をべつにしておる」
「さようでございますとも」
「ところが、けさお前が出て行ってまもなく後家さんから使いが来てな、あしたにも、その金はもとより、わしの手から動いておる自分の金を、そっくりまとめて納めるようにとのことなのだ」
「あら、それでは約束が違うではございませんか、約束をたがえてそんなことがいえるものでございましょうか」
「それは、いえる。女分限者と金番頭の、いわば内輪のことなのだ。約束がちがうといって、公事《くじ》にも持ち出せぬ以上、いつどう気をかえられても、しかたがないではないか」

      四

「さようなものでございましょうか」
 お高は、若松屋惣七のためを思って躍起になっていた。
「それでも、もとはといえば、具足屋東兵衛さまとやらから、起こったことでございましょう。何も、旦那さまが、一身にお引きうけなさらずとも――」
「東兵衛は、狂人だ。狂人から、何が取れる」
「でも、それではあんまり――」
「のみならず、東兵衛は東兵衛としても、わしと後家さんのあいだの貸し借りは、貸し借りなのだ。亡夫に遺《のこ》された財産だ。金のたてぬき[#「たてぬき」に傍点]は何ひとつ知らぬのだ、知ろうとせぬ女なのだ。夕方、お前の戻ってくる一|刻《とき》まえにも、また二度目の使い者がせき立てに参ったような次第で、困る。まことに、困る。おおぎょうに申すのではない。若松屋も、これぎりではないかと思うのだ」
「何とか、待ってもらえないものでございましょうか」
「それが、一日半日をあらそっておると申すのだ。じつに、まゆ毛に火のつくようなはなしでな」
「何しにそんなに急に、お金がいることになったのでございましょう」
「さっぱりわからぬ」思案の皺《しわ》が、若松屋惣七のひたいを刻んだ。
「それが、さっぱりわからぬのだ。使いの者にきいてみたが、使いの者は、いわぬ。知らぬらしいのだ。わたしは、具足屋のいきさつを話して、猶予を頼みこんだ。が、いっかなききいれぬ。聞こうとさえせぬのだ。何でもよいから、金をそろえろというのだ。いそぎの用があるというのだ。
 具足屋につくすべてを見積もりにして出すから、それだけ引いてくれとも申し入れたが、それも受けつけぬ。どこか具足屋の庭にでも、じぶんの小判が、山のごとく積んであるとでも、思っているらしいのだ。全く、そのとおりなら世話はいらぬがと、わたしも、つくづく思いますよ」
 若松屋惣七は、ほろ苦く笑った。行燈の灯が、面のような顔を、いっそうグロテスクにくまどった。
「多額《たんと》でございましょうね、どうせ」
「一万二千両です」
「まあ、そんなに、でございますか」お高は、おろおろと声がふるえた。「どうしましょう――」
「みんな、具足屋という旅籠が食ったのだ」
「その具足屋を、そっくり売ることはできませんでございましょうか」
「まだだめだな。損つづきのことを知っているから、ちょっと手を出すものずきもあるまい。それに、持ってさえおれば、やがて、金脈に変わることはわかりきっているのだ。わたしも、放さずにすむことなら、放したくはないのだ」
「何とかならないものでございましょうか」
「一言も、こっちのいい分に耳をかそうとせぬのだから、しようがあるまい。金がいる。いまがいま、そっくり出せ。これだけのことを繰り返して、せきたてに毎日来おる」
「たいそうなお金持ちの方とおっしゃったようでございますが――」
「金持ちは金持ちです。ほかにも地所やら家蔵《やぐら》やら数多くあるのだが、それらはもちろん、わたしにあずけて利まわりを取ってきた金も、至急に用が出来《しゅったい》したから、是が非でも、耳をそろえて出せというのだ。なんとも妙なはなしである。裏に何かあるのかもしれぬ。何人かの呼吸《いき》がかかっているような気も、せぬことはないのだ。が、それとても、はっきりしたことはいえぬ」
「ほんとにそんな大金を、一時に何しようというのでございましょうねえ」
「おせい様は、きょうまでわしにいっさいをまかせてきたのだ。それが、今度のことに限って、なに一ついわぬ。若松屋惣七にも、見当が立たぬ。いくじがないようだが、かほど当惑したことはないぞ」

      五

「あの、おせい様――」
 お高は衝撃をうけた。おうむ返しに、その名が、口を出た。
「そうだ。おせい様という女だ。今まで名をいわなかったかな。はて、話したつもりであったが――うむ。知らぬも無理はない。お前が参ってから、書状の往復をしたことはなかったからな。いつも、つかいの者がまいって、口で話をきめるような
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