この男売物」と読める。
 男は、その「売りもの」貼り紙を背なかにしょって、大威張りで歩いているのである。
 新六も、いっしょに笑い出して、
「何だい、あいつぁ。狂人《きふれ》か。」
 といった、その、気ちがいかというのが、ちょっと声が高かった。ちょうど真下をとおりかかっていた男に聞えて、かれは、立ち停まって振り仰いだ。
 大たぶさに結《と》り上げ、赫《あか》ぐろい、酒やけのした顔で、長身の――清水狂太郎なのだ。
 かれは、何がな人眼をひく方策を編み出し、それによって、この街道すじの旅人のあいだに、なにか口を利く機会をつくろうと、いろいろ考えた末、この貼紙を思いついて、江戸から来るこの一つ手まえの宿、川崎の立場茶屋で、半紙を貰い、墨を借りて、これを書いたのだった。
 そして、飯粒で、その紙看板を紋つきの背に貼りつけて、往き来の人の驚愕と、憫笑《びんしょう》に見迎え、見送られながら、こうしてこの神奈川まで来かかったところだった。
 眼のまえの、佐原屋とある宿屋の二階をふり仰ぐと、町人の男がふたり、欄干から見おろしてにやにや笑っているので、狂太郎は、待ちかまえていたように、ぐっと瞳《め》を据
前へ 次へ
全24ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング