えこっちゃあねえ。そう毎晩、毎晩、首根っこの白い姐《ねえ》やと酒じゃあ、帰りの五十三次が十次も来ねえうちに、素寒貧《すかんぴん》になるのあ知れきってるって――やい、すると手めえは、何と吐《ぬ》かしゃがった。行き大名のけえり乞食が、江戸っ児の相場だ? べらぼうめ、これから品川へへえるまで、水だけで歩けるけえ。金魚じゃあるめえし――。」
「まあ、兄い。そうぽんぽんいうなってことよ。勘弁してくんな。その代り、おいらが明日から、おまはんの振り分けも担《かつ》いで歩かあ。坊主持ちじゃあねえ。ずっと持ちだぜ。そんなら、文句ああるめえ。」
 と、さかんに高声を洩らしている、お伊勢詣りの帰りと見える熊公、がらっ八といった二人伴れが、いかにもそれらしい拵えの大高源吾と、赤垣《あかがき》源蔵《げんぞう》なのだった。
 と思うと、中庭をへだてた向うの部屋では、
「はい。拙《せつ》などの医道のほうも、お武家さまの武者修業と同じことで、こうして諸国を遍歴いたしまして、変った脈をとらせていただきますのが、これが、何よりの開発でござりましてな――。」
 医者に化けた村松喜平である。
 なるほど、武者修業めいたいでたちの菅谷半之丞が、となりの部屋から話しに来て、何かとうまく相槌を打っている。
 そのほか、富森助右衛門、真瀬久太夫、岡島八十右衛門など、同志の人々は、こうして町人、郷士、医師と、思い思いに身をやつして同勢二十一名、きょうこの神奈川の佐原屋に泊まっているのだ。
 たがいに未知を装って、ただ同じ方角へ向いて行く一連の旅人が、一時この旅籠に落ちあっただけ、という態《てい》なのである。今日会って、あした別れる。何の関係もない他人どうし。そう見せている。廊下や湯殿で顔が合ってもみな、何らの関心も示さず、知らんふりをしているのだった。
 関西に散らばって待機中だった同志が、前後して下ってきたのを、江戸に暗躍していた人々が途中まで迎いに出て、この二、三日、あとになり前になり、警戒にこころを砕きながら三々五々、やっと、江戸へ一|伸《の》しのここまで来たところだった――。
「この部屋だなっ!」
 おもて二階に、大声が湧いて「この男売り物」の浪人が、がらりと、武林唯七と間新六の室の障子を、引きあけた。


   口笛

      一

 間《はざま》が、いきなり、狂太郎の足もとに、ぺたりと手をついて、

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