「お侍さま、このとおり、お詫びを――。」
と、かれは、緊張して、顔いろが変っていた。大きな計画のまえに、いまこんなことで騒ぎになり、人眼をひいたりしてはならない。問題を起すようなことがあっては、同志に済まない。それに相手は、どんな人物であるかもわからないのだから――。
「とんでもない失礼なことを申しまして――。」
が、狂太郎は、黙ってはいってきて、その新六のそばを、畳を踏み鳴らしてとおり過ぎると、まだ窓ぎわに立ってにやにやしていた武林の胸を、とんと突いた。
「貴様か。いま何かいって笑ったのは。」
気の短い武林である。突っ立ったまま、むっとした顔で、なにかいっそう事態を悪くするようなことをいいそうな顔なので、新六は、はらはらした。
膝でにじり寄って、とり縋るように、
「いえ。つい、わたくしめが、お気にさわるようなことを申しましたので――。」
「黙っておれ。」
狂太郎は、武林唯七の襟をつかんで、ぐいと締め上げた。
「こいつ、騒がんな。体の構え、眼の配りが、どうも尋常でないぞ。」
それでも唯七は、狂太郎をにらんで、ぬうっと立ちはだかっている。
新六は、あわてた。
「これ、わしにばかり謝まらせておらんで、お前もすわって――いえ、お侍さま、これはすこし、変り者でございまして、気はしごくよろしいのでございますが。」
そして必死に、唯七へ眼くばせした。
すると狂太郎は、びっくりするほど大きな声で笑って、
「変り者か。うふふふ、変りものにゃあ違えねえ。武士が、町人の服装《なり》をしておるのだからな。」
武林と、ちらと素早い視線を交した新六が、
「滅相もないことを! わたくしどもは、正直正銘、生れながらの町人なんで。下谷の者でございます、へえ。商用で、ちょっと上方《かみがた》のほうへまいっておりましたのが――。」
狂太郎は、抜け上った唯七の額へ眼をやって、切り落とすようにいった。
「面擦《めんず》れ――こら、この面ずれが、何よりの証拠だ。」
唯七の指が、襟元を握っている狂太郎の手へ、しずかに掛かった。
「売り物なら、買おうか。」
「この男は売りもの――だが、止めた。もう、貴様らにゃあ売らねえ。」
「売る喧嘩なら、買おうかというのだ。」
新六が、叫ぶようにいって割りこんだ。
「お前は、まあ、相手も見ずに、お侍さんに何をいうのだ――。」
「ふん。」狂太郎は、小鼻
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