相模守は老中だった。
 年に一回京都の宮廷から、公卿《くげ》が江戸に下って、将軍家に政治上の勅旨《ちょくし》を伝える例になっていた。その天奏衆《てんそうしゅう》の江戸滞在中、色いろ取持ちするのが、この饗応役だった。毎年きまったことなのに、関東では一年ごとに、諸大名が代って勤めることになっていた。
 初めてつとめるのだし、大役だしするから、天奏饗応役に当てられた諸侯は、迷惑だった。心配だった。形式的にも、一応は辞退したかった。
 饗応役には、正副二人立つのだった。この元禄十三年度の饗応役に、本役には岡部美濃守、添役《そえやく》には立花出雲守が振りあてられた、と、土屋相模守にいい渡されたとき、出雲守は顔いろを変えた。
「おそれいりますが、私は、堂上《どうじょう》方の扱いをよく存じません。それに、家来には田舎侍多く、この大切なお役をお受けして万一不都合がありましては、上へ対して申訳ありませんから、勝手ながら余人へ――。」
 これは、毎年のように、誰もが一度饗応役を辞退する時の定り文句になっていた。相模守は、聞き飽きていた。
 そして、これも、この場合、毎年繰りかえしてきた言葉だが、
「御再考
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