、いや、職人泣かせでしたよ、まったく。」
「うなずかれる――。」
「吉良のお殿様が、何を思いたって、こんな途方もねえものをお誂えになったか知らねえが――。」御影堂は、急に、声を落とした。
「噂ですぜ。うわさだから、間違ったらごめんなさい。お妾が、いうことを肯かねえで、こんな変ったものを考え出して、それができたら、へへへへ――するてえと、今まで殿様あお預けを食ってらしったんですね。ざまあねえや。道理で、値は構わねえから、早く、早くと――。」
「松がまた、よく描けておるな。」
 辰馬は、扇を手にして、眼のさきにかざしてみた。
「細かい松じゃな。うむ、どこからどこまで、いい細工《さいく》だて――これで、松の数は、三万三千三百三十三あるのか。」
「ございますとも。虫眼鏡で、お算え下さいまし――殿様がお待ちかねです。あっしも、もうすこし、ゆっくり見ていてえが、お持ち帰り願いましょう。」
「見れば、見るほど精巧なる出来栄に、殿も、およろこび下さろう。代は、後から屋敷へ取りにまいれ。」
「ええ、そんなもの、いつだって――。」
 歩きかけた辰馬の手から、自然らしく、扇が落ちて、土間を打った。
 辰馬が、おとしたのだった。
 扇面が破れて、一、二本、骨が折れた。
「お! これは、とんだ――。」
 叫んだ時、御影堂が、足袋はだしで駆け降りて来た。
「何をしやがる! 直すのに、また何日かかると思うんだ――。」
「粗相だ。許せ!」
 もう一度、よろめいて、わざとでないように、扇を踏みにじりながら、辰馬は、微笑をふくんで、逃げ出していた。

      三

 勅使が、玄関に着こうとしていた。吉良上野介は、お掛縁《かけえん》に控えて、最後に、すべての配《くば》りはよいかと、あたりを見廻した。
 岡部美濃守が、じぶんとおなじように、玄関に着座しているのに、気がついた。
 いままでは、強情我慢で、そしてまた、どこからか聞きだしてきては勤めてきたが、身についていないということは、争《あらそ》えないと吉良は思った。
 仕方がなかった。それが、ここに現われたのだった――そう考えて、吉良は、ちょっとおかしかった。
 吉良は、高家筆頭だから、そこにいるのが当然だったが、
「岡部が、ここに出しゃばっておるとはなにごと! 今に、顔の上らないほど、手きびしくたしなめてやろう――。」
 扇箱以来の美濃守への不愉快
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