役の美濃である。一応、眼を通しておかなければ、不都合だ。さし出すがよい。」
 眼に見えて、吉良は、ふるえてきた。
「ござらぬ。」
「紛失いたしたな。」
「いや、持っておる。が、このほうは高家筆頭じゃ。わしが見ておれば、それで充分。お手前に関係したことではない。」
「なに、御饗応のお次第書が、本役のおれの知ったことではないと――。」
 吉良は、生えぎわに汗を見せて、
「まあさ、そう大きな声をされんでも――今にも天奏衆がお着きになる。その銅鑼声《どらごえ》がお耳にはいっては、おそれ多い。」
 が、美濃守は、たたみかけるように、
「御老中連名のお次第書だ。天奏衆御出発の用意等、出ておるであろう。こちらから老中へ返納いたす。出せ!」
 どうして、お次第書などというものがあることを、この美濃は知っているのだろう――吉良は、相手になるまいとした。
 美濃守は、にやりとして、
「これだけの心得がなくて、本役をお受けできるか――勅使両山御霊屋へ御参詣、お目付お徒士頭《かちがしら》が出る。定例じゃぞ。十三日が、天奏衆御馳走のお能。高砂《たかさご》に、三番叟《さんばそう》。名人鷺太夫がつとめる。御三家、老若譜代大名、諸番がしら、物頭、お医師まで拝観、とある。おぼえておけ。」
 吉良は、死人のような顔いろになって、美濃守を白眼《にら》んで立った。

      二

「や、どうも、おっそろしく混みいった注文だったもんで、すっかり手間を食っちゃいましたが、やっとできましたよ。」
 京都の御影堂本家の主人は、店に、本尊|法然《ほうねん》の像をまつって、時宗だったから、僧形で妻帯していたが、円頂で扇をつくって京の名物男だった。
 それに、負けず劣らずだった、江戸の御影堂は、坊主ではなかったが、口の荒い職人膚だった。やはり、一風かわった人物だった。
 辰馬が、吉良家から来たといって、でき上った扇を受け取りに行くと、奥の、手文庫のようなものから、自分で出してきた。
 手のうえに置いて、離すのが惜しいといったように、惚《ほ》れぼれと眺めた。
 辰馬は、屋敷侍らしい着つけで来ていた。口も、そんなようにきいて、
「いかさま、見事――眼の果報じゃ。」
「なにしろ、凝ってこって凝り抜いたもんでわしょう? どうですい、この扇骨《ほね》の色は。十本物だが、磨きは、自慢じゃあねえが、蘭法でも、ちょいと新しい式でね
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