を下げているようすだった。
五
平茂が、目見得に伴《つ》れてきて、ちょっと顔を見た時から、吉良は、気に入ってはいた。
が、何となく、したしみ難いところがあった。といっても、妾《めかけ》奉公を承知で来ている女には違いなかったから、いずれは、先方から、そんな意味でのつとめを申し出るであろう、と、吉良は、そのままにして、迫らないでいるのだった。
夜になって、吉良が寝《しん》につく世話をしてしまうと、女は、さっさと自分の部屋へ退って行った。側女《そばめ》として来ているのに、そうすることが当然であるような、女の態度だった。しかし、格別避けているようでもなかった。何でも、はきはき返辞をするし、愛想はいいのだった。
名を訊くと、お糸といった。請人《うけにん》の平茂の話では、親元は、長谷川町のほうで仏具師をしているとのことだった。吉良には、お糸がどんなつもりでいるかわからなかったが、了解《りょうかい》しているはずのことをことごとしくいいだすのも業腹《ごうはら》だったし、それに、食べようと思えばいつでも食べられるものを、眼のまえに見ながら、いつでも食べられるだけに、そして好きなものだけに、いつまでも食べないでいるのも、老人らしい吉良の趣味に合わないでもなかった。
「変った女だ――。」
こっちからは手出しをすまい。どういう気か、黙って見ていてやろうと吉良は思った。
で、吉良の床をとって帰って行くお糸を、一度も引きとめはしなかった。朝、洗面の手つだいに顔を出すまで、呼びもしなかった。名ばかりの妾のまま、日が経って行っていた。
馬鹿にされているような気がしないでもなかった。
吉良のこころに、女性とのあいだにそういう話をすすめるという、忘れていた、若わかしい興味も起こって、
「は、ははは、一つ、今夜あたり口説《くど》いてみるかな――。」
口のなかでつぶやいて、苦笑している時だった。
明るい色が、控えの間のさかいに動いて、そこに何の屈託《くったく》もなさそうなお糸の顔があった。
通りすぎるほど通っている鼻すじだった。それが、すこし険のある表情にしているのかもしれなかった。
敷居《しきい》に、三つ指をついていた。
重い髪を、ゆらりと上げかけて、
「あの、立花様から、お使者の方がお見えになりましてございます。夜中ながら、お役柄の儀につきまして、ちょっとお上
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