これを書き上げたのである。八月に版元へ廻す原稿を勉強して五月前に仕上げて春亭へ頼んだのである。勝川春亭は三馬にはいろいろ厄介になっていて恩もあるけれど、前のことがあるので意地になってわざと遅らした。京伝の草稿が来ているし、その版元の泉屋市兵衛のほうからやいやい言ってくるのでそっちのほうを先に描いた。驕慢な三馬が※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵に差し出口をきくので懲らしてやれと思ったのである。そのために京伝の作は早くできたが、三馬の「於竹大日」は肝心の正月の間に合わなかった。
「なんでえ、べらぼうめ。約束しておいたじゃあねえか。おいらのほうが早く書き上げたんだから、一日でも京伝より早く開市にするのが順道じゃあねえか。もし遅れたら以後春亭とは絶交だと言っておいたが、果して春亭のためにおれのほうが遅れて開板となったから、もうこれからは春亭が方へは行かねえ。」
 と三馬は青筋を立ててそのとおり「雑記」にも書いた。
「春亭は曲のねえ、恩を知らねえ男だ。」
 とも言った。が、春亭にしてみれば、京伝のはお夏清十郎の華やかな明るい場面だのに、三馬の「於竹大日」
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