ので、どうしたら馬鹿にしてかかることができるかとそれに骨を折った。難かしくなってはいけない。折助《おりすけ》やお店者や飴しゃぶりの子守り女やおいらん衆が読むのだからと絶えず自分に言い聞かせても、どうしてもその読者の正体が、あまりに広いためにはっきりしなくて雲を相手に筆を執るような意外な不安があった。
 六樹園はすこし持てあましたが、それにつけていつの間にか熱中している自分を発見して苦笑した。三馬はきっと相変らず酒を飲みながら楽々と書いているだろうと思うと、すこし憎らしいような気もした。
 敵討物の傍若無人の横行に業《ごう》を煮やしたことが動機となってやりだしたことだから同じようなものではもとより面白くないと思った。あまりに人死にが多く全篇血をもって覆われて荒唐無稽をきわめているのが、いくら狂言綺語とはいえ人心を害《そこな》うものだという建前に発しているので、自分は一つ、一人も人が死なず一滴も血をこぼさない敵討物を書いて一世を驚倒させてやろうと考えた。そして練り上げてできた一つの筋に、「敵討記乎汝《かたきうちおぼえたかうぬ》」の題を得た時、六樹園は得意満面で独りで大笑いに笑った。
 それだけわれ人を馬鹿にし、調子を下げれば、どんなに当るか想像もつかないと思った。この「敵討記乎汝」が出版されれば、髪結床でも銭湯でも人の寄り場はどこへ行っても、この作の評判で持ちきりだろうと思うと六樹園は苦笑しながらもいい気もちだった。ことに敵うち物の不快な横行に対する腹いせの意味も偶して「敵討記乎汝」とやったところはわれながら上できだと思った。
 六樹園は苦笑をふくみながらさっそく筆を下ろした。暢達《ちょうたつ》の文人だけに運筆は疾《はや》かった。ただ難かしくなるまいなるまいとたえず用心した。いかにして愚劣なものを書くべきかと努力した観があった。それはこういう思いきり洒落のめした物語であった。
 名門好みの高慢な若い男があった。天下に名を轟かして味噌を上げたいと心がけたすえ、まず兵法を習ったが失敗して、書を学んで成らず、つぎに役者を志したはいいが、たった初日一日が一世一代の冷飯に終ったので、今度は男伊達《おとこだて》を真似たものの、似た山と嘲られて色事師に転じた。そして振られ抜いたあげく、これではならぬとやむをえず今度は一つ悪狐を退治して名を揚げようと野原へ出た。
 そこで過って伯父の小
前へ 次へ
全13ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング