寛永相合傘
林不忘
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)隣家《となり》の
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)同藩の士|安斎《あんざい》十郎兵衛《じゅうろべえ》嘉兼《よしかね》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)※[#「金+祖」、第3水準1−93−34]元《はばきもと》から
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一
つまらないことから、えて大喧嘩になる。これはいつの世も同じことだ。もっとも、つまらないことでなければ喧嘩なんかしない。隣家《となり》の鶏が庭へはいって来て、蒔《ま》いたばかりの種をほじくったというので、隣家へ談じ込んでゆくと、となりでは、あんたの犬が鶏を追い廻して困ると逆《さか》ねじを食わせる。そこで、こっちが、ええ面倒くせえ、やっちめえというんで、隣家の鶏をつぶして水たきにでもしていると、となりでは、手早くこちらの犬の屍骸を埋める穴を掘っていようという騒ぎ。それから両家がことごとに啀《いが》みあって、とんだ三面種を拵えるなんてことは今でも珍しくない。だから、となりの人が、あなたんとこの鶏が庭へ来て、種をほじくって困るんだがいったいどうしてくれると持ち込んで来たら、なに、それはべつに不思議でもありません、こっちの種がそちらの庭へ行って鶏をほじくってこそ、はじめて協議すべき問題が生じようというもので――なんかとこう軽くあしらってやれば、事はそれですむ。が、こういう人間が多くなっては、世の中が退屈でしようがあるまい。
で、じつは喧嘩の因《もと》のつまるつまらないは、傍観者や後人の言うことで、当人同士は、喧嘩するくらいだからもちろんつまらなくてはできない。むっ[#「むっ」に傍点]としてかあっ[#「かあっ」に傍点]となった時には、あらゆる利害得失理窟不理窟を忘れているのである。昔はこういう人間が多かったものだ。
尾張藩の侍寺中甚吾左衛門、今がちょうどそれでかんかん[#「かんかん」に傍点]になって怒っている。
「いいやいや。錵《にえ》乱《みだ》れて刃みだれざるは上作なりと申す。およそ直刃《すぐは》に足なく、位よきは包永《かねなが》、新藤五《しんとうご》、千手院《せんじゅいん》、粟田口《あわたぐち》――。」と一気に言いかけて唾を飲んだが、これは昂奮が咽喉《のど》につかえて声が出ないためとみえる。
一同、黙って甚吾左衛門の顔を見ている。ちょっとその権幕に呑まれたかたちだ。なかにひとり口唇を青くして甚吾左衛門をにらんでいるのがある。同藩の士|安斎《あんざい》十郎兵衛《じゅうろべえ》嘉兼《よしかね》これがこの口論の相手である。
「こ、こ、ここへお眼をとめられい。」
と甚吾左衛門は、膝元の、中心《こみ》だけ白紙に包んだ刀身を指して、あらためて猛り出した。
「丁子乱《ちょうじみだ》れ、な、丁子みだれがあろう。丁子乱れは番鍛冶一文字に多しと聞くからには、この一刀は、誰が何と言おうと、これは粟田口だ。」
言い切って一座を見まわす。みんなぽかん[#「ぽかん」に傍点]としているから、じかに当の安斎へ食ってかかった。
「安斎、粟田口だな。」
「ふうむ。粟田口かな。」
と腕を組んだ安斎十郎兵衛、感心したのかと思うと、そうではない。
「なるほど。言わるるとおり乱れは乱れじゃが、ちと逆心《さかごころ》が見える。拙者の観るところ、どうも青江物《あおえもの》じゃな、これは。」
「しかし――。」
甚吾左衛門が口をとんがらせる。
「しかし――。」
と十郎兵衛も負けてはいない。が、一歩譲る気になって、
「しかし――何じゃ?」
「しかし、」甚吾がつづける。「しかし、刃文《もよう》と言い、さまで古からぬ切込みのあんばいと言い、何とあってもここは粟田口、しかも国光あたりと踏むが、まず恰好と存ずる。」
しきりに難かしい論判をしている。
寛永三年春。さくらも今日明日が見ごろというある日の午後だ。
鉄砲洲《てっぽうず》の蔵屋敷に、尾州家江戸詰めの藩士が、友だちだけ寄りあって、刀剣|眼利《めきき》の会を開いている。人斬庖丁を中にお国者が眼に角を立てるんだから、この席上に間違いの端を発したのも、あながちいわれがないでもない。
戦国の余風を受けて殺伐な世だ。そこへ持ってきて、武士の生活《くらし》にようやく落着きと余裕ができかけているから、ちょっぴり風流気もまじって、多勢集まって刀を捻くって、たがいに鑑定眼を誇りあうことが流行《はや》る。これへ顔を出すことは、武士のたしなみの一つとさえなっていた。
今日の会主は本阿弥長職派《ほんあみちょうしょくは》にゆかりのある藩中の老人。さっきから皆がちらちら[#「ちらちら」に傍点]と視線を送っている胡
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