麻塩《ごましお》茶筅頭《ちゃせんあたま》のおやじがそれだ。会主がその道の巧者だから、持ち寄った刀には、中心《こみ》を紙で巻いて銘を隠しただけで、番号札はつけてない。あらかじめ各刀の銘をしるした台帳を手許に控えて、会主は背中を丸くして片隅にすわっている。ちょっと猫の感じだ。
つぎつぎに持ち出される刀について、議論が沸騰する。こうした会は後年はものしずかなものになったが、この時代はどうしてどうして喧々囂々《けんけんごうごう》たるさわぎだった。入札に対して、会主は、当り、当り同然、よく候と三様に答える。当りは的中、当り同然は鍛冶の時代、兄弟、系図、国入りがやや本城に近いもの。よく候には海道筋よく候、通りよく候、国入りよく候と三つあって、海道筋は伊賀伊勢、通りは備前備中、国入りというのはその流派のうちに入りさえすればよいとなっていた。それがまた、一度で当るか二度三度で当るかによって、一の当り、三の当り同然などと言ってそれぞれ点数が違っていたが、本阿弥二流のうちでも長職のほうが成善派よりもすべてにおいて二点だけ甘かったものだ。
こういうわけで、天狗連が点取りを争うのだから、ともすれば荒っぽくなる。
しかも今日は若侍のよりあい。どういうものか、はじめから寺中甚吾左衛門に旗色が悪くて、いつもの甚吾にも似ず、言うことが片っぱしからどじ[#「どじ」に傍点]で、取った点も列座の面々とは桁ちがいと来ているので、甚吾の心中、はなはだ穏かでないものがある。それにひきかえ、安斎十郎兵衛の指す星は、毎度見事に的中して、安斎が甚吾に反対するたびごとに、安斎は奇妙に一の当り二の当りという点のいいところを重ねて来ている。殺気などというほどのことでもないが、二人のあいだにいささか変なこだわりが流れ出していることは事実だ。
二
さて、いま出された刀だが、寺中甚吾左衛門はあくまでもこれを粟田口藤原国光の作と言い張っている。その理窟を聞いてみるとまんざら根拠のないものとも思えないが、およそこの席につらなっている者で甚吾が示した刀剣の智識ぐらいは誰でも持っているのに、そいつをしゃあしゃあと物識顔にやり出したので、十郎兵衛、ついぐっ[#「ぐっ」に傍点]と片腹痛く感じた。
で、はじめは反対のために反対したのである。
というのは十郎兵衛も最初はその一刀を粟田口則国あたりと白眼《にら》んだの
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