。この悪剣が、将軍家代々の御宝刀とは、いかなる訳でございましょうか。
播磨 (にこにこして)わかっておる。余も刀相などは信ぜぬよ。
郁之進 (がたがた顫えつつ)刀というものは、君を守護し、また一身を守る道具。持ち主の心忠義に存すれば、刀も忠義のために働き、持ち主にして邪念不道なれば――。
播磨 五月蠅《うるさ》いっ! つべこべ言うな。刀相などどうでもよい。余がその刀に事寄せて、そちと二人きりになりたかったのは、じつは、この加世のことだが――。
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この時庭からの風で、ふっと燭台の灯一つ二つ消えて、あたり薄暗くなる。
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郁之進 (独り言のように、陰々と)持ち主にして邪念無道なれば、刀もまた悪しき方へ役立つものと、愚考いたします。
播磨 (乗りだして)邪念無道? いや! なんでもよい。これ! 郁之進、この加世はなあ、この加世は――。
郁之進 (その播磨守の声を耳に入れまいと、呪文のように)いえ、その女めは、失礼ながら殿へ献上仕りましたもの――要は、刀に善悪なくして――。
播磨 ええい、解っておるというに!
郁之進 いいえ! おわかりではござりませぬ。刀に善悪はないのです。帯びる者の心で、凶相にも吉相にもなるのですっ。
播磨 (上機嫌に)よくぞ申した。そうだとも、そうだとも! そちの言うとおり。
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起って、ぴたりと郁之進の前へ来て坐る。
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播磨 刀を見せい。ささその主殺しの相あるという景光を、余は見たい。
郁之進 (恐懼して)いえ! とんでもござりませぬ。さような悪剣と観相されました以上、なにとぞ御免を――。
播磨 大事ない。これ、見せろというに!
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と刀に手をかけて、引き寄せようとする。郁之進は必死に刀を押さえて、尻込みする途端、立ちかけた彼の手から、下に向けた柄の重みで、さっと鞘を辷って刀身が流れ出る。
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播磨 (ぎょっと身を押し反らして)やっ! 抜いたな!
郁之進 (狼狽をきわめて)いえ! 抜いたのではござりませぬ。ひとりでに鞘走りして、これは、何とも申訳ない粗相を――。
播磨 いや、抜いた抜いた! 抜いたついでだ。見てやる。これ! 見せろっ!
郁之進 いえ、いえ――。(逃げようとする)
播磨 かまわぬ見せろというに!
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と刀を取ろうとする途端、不意に、何ものか乗り移ったごとき郁之進、すらりと右手に景光を抜き放つ。
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加世 あれ!
郁之進 家宝の一刀に由なき傷をつけたのみか、こ、この私めが、あろうことか、殿に対して害心を蔵するようなかの奎堂の言い草。彼をこのままにさしおいては、臣下の一分が立ちませぬ。この郁之進の胸が納まりませぬ。おのれ! 久保奎堂を真っ二つに――。
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憑《つ》きものでもしたように、抜刀を提げたまま、よろよろと廊下へ出ようとする。
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播磨 待て! (追い縋《すが》って留める)
郁之進 (争って)いえ、この多門三郎景光、はたして凶相か吉相か、久保奎堂の身体《からだ》に問うてみるのですっ! 殿、お放し下さいっ。
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刀を振り被《かぶ》って行かんとする。立ち塞がる播磨守を払い退けようとして、その拍子に、まるでひとりでに手が動いて、横殴りに一刀深く斬りつける。
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播磨 (脇腹を押さえて、後退《たじろ》ぐ)や! き、斬ったな――。
加世 (転び寄って郁之進に縋りつく)あなた! ま、そのお刀を――。
郁之進 (呆然と驚きあわてて)ややっ! こりゃ殿を――しまった! あ、ああどうしたらよいやら。
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と刀を凝視《みつ》めると、またふらふらっ[#「ふらふらっ」に傍点]となって、真っ向から播磨守に二の太刀を浴びせる。薄く小鬢を掠める。
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郁之進 (自ら愕然として)やっ、また! おお、この刀は魔性だ! 心にもなく手が滑って、二度までも――殿、御免なされて――。(刀を投げ捨てて、倒れた播磨守を抱き起す)ああ、これはいったいどうしたというのだ。殿! お傷は軽うございます。し、しっかり遊ばして!
播磨 なんの、これしき! ううむ、そうか。主《しゅう》に仇《あだ》なす多門景光――ははははは、斬れ斬れ! だが、郁之
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