[#「ぱっ」に傍点]と税所郁之進が飛び出して、呼吸を弾ませて奎堂の前に手を突く。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
郁之進 (臆病に)わ、わたくしの帯刀でござります。
奎堂 たしかめますが、この多門三郎景光でござるぞ。しか[#「しか」に傍点]とお手前の刀《もの》に相違ありませぬな。
播磨 郁之進の刀か。それがどうした。
奎堂 はっ、おそれながら、これはもっての他の凶相。手前、もはや三十年の余も刀相を観ておりますが、かような悪相は初めてでござりまする。
播磨 ほほう、どう悪い?
奎堂 必ずお気に留められませぬよう――主君に崇りをなす相が、ありあり[#「ありあり」に傍点]と浮かんでおりまする。(座中愕然とざわめき立つ)
播磨 なに、余に仇《あだ》を? 郁之進か――うふ、うふふ、思いあたることが無いでもない。
[#ここから3字下げ]
お加世は殿のかげに、いっそう身を縮める。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
郁之進 (懸命に殿の前へいざり寄って、平伏する)と、とんでもない! この男は山師でござります。詐欺師でござります。(奎堂へ涙声で)これ! 刀相などと、好い加減なことを並べて、私の刀が殿に崇りをなすとは、む、無責任――め、迷惑にもほどがある! と、取消して下さい! 取消せ!
矢沢 他藩の高名なる大先生なるぞ。取り逆上《のぼ》せるな、郁之進! 言葉を謹しめっ!
奎堂 (郁之進へ)いや、ごもっとも。あなたよりも、私が否定したいのです。鑑識《めがね》ちがいではないか、どうかそうあってくれればよいがと、御覧のとおり、何度見直したか知れぬ。が、見れば見るほど――さよう、明鏡のごとき観相の表を私情で曇らし、白を黒と言うことは、刀相に生くる拙者にはでき申さぬ! この多門三郎景光には、たしかに君を害し奉る相がある。うむ、秘かに殿に害心を抱く刀と観た。
播磨 なに、余に対して害心とな――?
郁之進 (おろおろして)あまりと言えば、あまりな! (播磨へ)殿! 御座興の一端と、お聞き流しを願いまする。奎堂先生はわたくしに、いかなるお怨みがあって、かような――。
奎堂 私心はござらぬ。刀相に現れしところを、そのまま申し述べたまで。
郁之進 いいや! お眼の誤ちでございます。この刀は、祖父から伝来のもので、父|臨終《いまわ》のきわにこれを汝に譲るぞ、この刀をば父と思って殿に忠勤を励めと、くれぐれも申し聞けられました景光にござります。(泣く。涙の眼で奎堂を白眼《にら》む)しかるにこれを指して、口にするだも恐しい、君のお命を縮めまいらす刀相などとは――。
奎堂 (冷然と)凶相じゃ、凶相じゃ。そこもとが何といおうと、凶相じゃ。必ず思いあたることがあろうぞ。
矢沢 (あわてて)久保氏! あなたもまた、何もそんな不吉なことをそう言い張らんでも――。
奎堂 私が言うのではない。刀が語っているのです。相に出ておるのです。それを偽ることはできませぬ。
郁之進 ええ! まださようなことを! (掴みかかろうとする)
播磨 ははははは、よいよい、郁之進。騒ぐでない。相対で話をしよう。これ、皆の者、遠慮せい。
矢沢 しかし、殿。ただいまの奎堂先生のお説もござりますれば、ただお一人にて郁之進めと御対坐遊ばす儀だけは、せつにお思い止まり下さりますよう。
播磨 何を下らぬことを! 郁之進ごときが十人掛かっても、後退《たじろ》ぐ余か。
矢沢 しかし、郁之進の刀は魔物と申すことですから、充分に御注意を。
播磨 みな退れ。加世、そちだけはここにおれ。
[#ここから3字下げ]
家老矢沢、久保奎堂をはじめ、一同は不安げな面持ちで、去る。お刀持ちの小姓も、追い払うように退げられる。後には、播磨守と郁之進。その播磨の陰に震え戦《おのの》くお加世の三人だけになる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
郁之進 (問題の多門景光を、どさり[#「どさり」に傍点]と殿の前へ差し出して)この一刀は、なにとぞお手許に――。
播磨 (笑って)近う! 男と男だ――なに、その刀を余の手に。ははははは、いや、それには及ばぬ。
郁之進 (はっ[#「はっ」に傍点]として)男と男――?
播磨 うむ、男と男の相対づくだ。遠慮するな。その凶刀を膝傍に引きつけて話をしろ。
郁之進 殿! そもそも剣相と申すこと、昔は聞きも及びませぬ。いつのころより始まりましたものか、わたくしはさようなこと、一向に信用いたしませぬ。将軍家第一の御宝刀は、本庄正宗のお刀と洩れ承《うけたまわ》っておりますが、元この刀は酒田の臣、右馬助とやら申す者の佩刀で、この刀で右馬助が上杉の本庄殿へ斬りつけましたもの。さすれば、持主に崇った凶相の刀でござります
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング