はなかったとみえる。また、その閑山の知り人でこうして、自分を持てあましているこの方々も存外|狼《おおかみ》ではないかもしれない。が、それというのも、自分をすっかり死人と思い込んでいればこそで、ま、も少しじっ[#「じっ」に傍点]としてなりゆきを見るのが、このさい、何よりも利口なやり口。
動いてはならぬ。
動いてはならぬ。
主従、とぎれたことばを続けている。
「御前、この女は何者でござりましょう?」
「かか、閑山が殺したのじゃ」
「閑山が――?」
「こ、殺したのじゃ。殺して、よ、鎧櫃へ詰めて、いずくへか取りすてようと致したものであろう。し、仔細《しさい》はわからぬ」
「しかし御前――」
「とまず、申して、こ、これを種《たね》に閑山をゆするのじゃ」
この侍、一枚上をいっているよ、と女が感心していると、鞘《さや》走りの音がして、侍の手にぎらり[#「ぎらり」に傍点]と長刀が光った。
「死肉じゃが、久しぶりにためし斬り――」
これはたまらない。思い切って飛び起きようか。
なにさ、この辛棒《しんぼう》が肝心《かんじん》!
動いてはならぬ。
声を立ててはならぬ。
すると、猫侍が吃りの刀を押しとどめて、ぴったり据わっている女の額部《ひたい》に手を当てた。
どきりとした女、胸の早鐘に合わせて、自分と自分へ一心に念じる。
動いてはならぬ。
動いてはならぬ。
と、その胸に、猫侍の耳がくっついて、じいと感[#「感」はママ]をきいている。
動いてはならぬ。
動いては――。
「御前」
「な、何じゃ」
「この女、生きておりまする」
はっとした瞬間。
「死美人生けるがごとしか。どけ」
と猫侍を押しやった主人の足、またどっかり[#「どっかり」に傍点]と今度は女の顔の真ん中を踏まえた。
眼と鼻と口をふさいで、大きな素足が載っている。
あまりといえばあまりな!
女の全身に持って生まれた血がおどった。が、ここが我慢! 苦しいだろうがこらえておくれ! と必死に呼吸《いき》を詰めて、断末魔のような無言の叫びが身内に渦まく。
動いてはならぬ。
息をしてはならぬ!
足の重みが増してくる。
息をしては――息をしては――動い――足が――足――押す――息――。
あっ!
と思った刹那《せつな》、咽喉《のど》の奥でぐう[#「ぐう」に傍点]というような音がして、侍の足の裏がすうっ[#「すうっ」に傍点]と細い、熱い女の吐息を感じた。
「あ、ああう」
うめき声が女の口からもれて出た。
それでもまだ、動いてはならぬ。
動いてはならぬ。
「い、生きとる、はははっははは」足を引いて、侍は笑った。
「なに、わしははじめから、立派に、い、生きとることは知りおった」
「死んだまね、ちっ! 強情な奴にござりますな」
「いや、し、失神致しておるようじゃ」
「いかが取り計らいましょう」
「そ、そちの申すとおりの美人なら、つ、使いみちもあろうて。休ませて、て、て、手当てをしてつかわせい」
「と致しますと、むこうのお屋敷へでも?」
「そうじゃ。一間に、と、床を延べて、寝かす用意を調えたうえ、たた、丹三《たんざ》を連れて参って、しょわせて行くとしよう」
もうのがれる術《すべ》はないと、女は闇黒の中に大きな眼をあいて、二人の会話《やりとり》を聞いている。
「ではすぐあちらへ?」
「うむ。そ、そちも来い」
「しかし、この女をひとり残して――」
「あ、足腰が立つまいによって、にに、逃げる心配は無用じゃ」
どうぞ二人で行ってくれますようにと祈っていると。しめたっ!
しめた!
部屋を出た二人の跫音《あしおと》。それが前後して階段をおりて、しばらく階下《した》に響いていたが、おいおい遠ざかっていっしょに家を離れて往くまで、女も身動き一つせずに畳にはっていた。やがて、広い邸内に人のいないことを確かめた女は、両腕に力を込めて、むっくりと起き上がった。
「馬鹿にしてるよ、ほんとに」
と手早く帯を締め直して、
「さんざ人を踏み付けにしやあがって、くやしいったらありゃあしない。足の指へでもくらいついてやりゃあよかった。何だい、だからあたしゃ屋敷者はきらいさ」
こんなところに長居はごめん。
今のうちに一時も早くと、かいがいしく裾をからげて、女は手探りで縁へ出た。
家には調度もなく、がらんとしたようすが空家らしい。
さっきの足音のあとをたどる気。
梯子段《はしごだん》をおりて下座敷。そろり。そろりと中廊下を、突き当たっては曲がり、ぶつかっては折れして往くと、行く手から露っぽい外気が、煙のように暗黒をさいて来て、廊下のはずれは出入口らしく、ほんのりと夜光が浮動している。
われ知らず、女の歩調が早くなったとき、
「ちっとあやかりてえものでごぜえます。へえい! そんな
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